菩薩の謎

アジア芸能に詳しい方からじゅんこさんを紹介されたのは吉祥寺のライブでした。歌手をいれたグループをその方の結婚式のためにつくることになり、歌い手を探していました。インドネシアとロックと即興が一緒になりたいのですが、なれない、というようなライブでした。場所も音楽も集まっている若者も、何か京都っぽいな、という変な印象でした。じゅんこさんはそれほど歌っていませんでしたが、この人で良いでしょう、という判断をしました。翌日から南半球へ行くあわただしい真夏の夜でした。
結婚式音楽の選曲・リハーサルを重ねていくうちに私の判断が正しい、いや、この上なくラッキーなことだったと思うに至ります。なぜこの人がここでこうやって生きているのか、なにがそうさせているかが謎ですが、謎はそのままにしておいた方が良いのかもしれません。
しかし、その謎が少し解けることがありました。Facebookで知ったFMチャッピーの三味線放浪記(長唄三味線の山尾麻耶さん担当)が、秋田の佐藤宅を訪れ、父君のインタビューそして三味線演奏を放送したのです。三味線のリズムが乗り出すと、音をどこかに託しているような、自分で演奏しているというよりは、大きなリズムに身を任せているような感じでした。特に海のリズムは凄かった。引きづり込まれたらもうオシマイ、ポーやトリスターノのメエルストロムの渦です。
私は長年、世界中の海のリズムはどこかで繋がっているような気がしていました。船方節のリズムは奄美の里国隆のリズムと同じでした。ちょっと変えると「暗いはしけ」のリズムになります。波のリズムでしょうし、艪のリズムなのでしょう。力強い2拍子です。決して3拍子にはなりませんよね。舟が転覆してしまいます。ファドで有名な「暗いはしけ」はもともとブラジルの音楽だったそうです。ブラジルとポルトガルとを繋げるのももちろん海。
三味線の棹はビルマなどから、皮がインドネシア、糸の黄色はインドから、撥もインド象からという話を聞いて、三味線はすぐれて南アジアなのだと納得したことがあります。「オンバク・ヒタム桜鯛」を西陽子さんの委嘱で書いたとき、陽子さんにこれを高田和子さんの追悼にしたい、ということを伝えました。もちろん例の海のリズムを使っています。(第三章)コントラバスアンサンブル弦311のレパートリーにもなり、ずいぶん音も変わってきました。
オンバク・ヒタム(もう一つの黒潮)を通って東南アジアから琉球を経て日本海へ、そして秋田で生き続けているリズムというのは感動的であります。
翌日、サニーホールでじゅんこさんの参加するランバンサリ(ジャワ宮廷ガムランを専門とするグループ)の演奏会がありました。バリの血湧き肉躍るガムランと対照的に、あくまでもゆったりながれるジャワガムラン。その啓蒙・普及に大きな役割を続けているグループで、ゆったりした本来のガムランを聴かせるだけでなく、漫才入りとか竹のガムランとかを織り交ぜて老若男女が楽しめる演奏会でした。
じゅんこさんは主に高い声のパートを朗々と歌っていました。隣で歌っていた方はジャンさん体操に一緒に参加されたかたでしたね。いくつになっても睡眠がうまくできない私は、2回ばかりグイッと引き込まれるように眠りに落ちました。高次倍音が複雑に干渉し合うのも気持ちがよくなるばかりです。こういう音ばかり聴いていたら、もしかしたら耳の不調も治るのではとさえ思いました。
菩薩の秘密をほんの少しだけ垣間見た2日間でした。

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