実は、ジャンは滞在中、矢萩竜太郎さんの個人レッスンも5回していました。私も通訳を兼ねて毎回参加しました。時にジャン側につき、時に竜太郎側につきます。竜太郎クンは「いずるば」の王子です。多くの人が忘れてしまったイノセントな感覚を持っています。2年前にブッパタールのORTでの竜太郎さんライブは、ジャン、ウテ・フォルカー、クリストフ・イルマー、菊池奈緒子、森妙子、私が加わった特別セッションでした。ORTの聴衆は謂わば百戦錬磨。その聴衆に深い感動を与えたことは特筆すべきことでしょう。昨年3月24日に「いずるば」で行われた「即興セッション」では、岩下徹・喜多直毅・私と共演。震災後不安に満ちた雰囲気を吹っ飛ばすダンスをして私たちを引っ張ったのは誰あろう竜ちゃんでした。
かく言う私も初めて共演したときに、楽屋の部屋で突っ伏して泣いている彼を見て「どうしたの?」というと「うれしいの」の一言。ダンスをして嬉しくて泣いてしまう、こういう感覚を私はどこかに置いてきてしまった、と思いました。
個人レッスンの場合もはじめはストレッチからです。ジャンはいろいろと工夫を凝らしてレッスンをします。インプロの時の冴えは、どんなプロの共演者さえも凍り付かせ、彼の「聴衆」にしてしまうインスピレーションと集中力があります。しかし、ダウン症の彼は「意識をする」ということが「違う」ようです。一見、覚えることができないように見えますが、それは違います。覚えるということが違うだけで、一旦覚えたことは決して忘れません。小さいときからお母様と何百という歌を歌い続けていて、そのすべての歌を覚えています。違いは個性です。
ワークショップでありがちなことですが、難しげなことを言ってわかった雰囲気にさせることはできません。相互交通であるべき「ワークショップ」の本来の在り方を突きつけられます。動かないこと・踊らないことも大事なテーマにしました。そして4回目、「いずるば」に着くと彼はドラムを演奏していました。好きな音楽CDをかけながら楽しそうに叩いています。打楽器的な感覚、声、言葉を取り入れることにしました。言葉を自由に使う設定での彼のインプロは冴えに冴えまくっていました。
5回が終わり、プレゼンテーションとして親しい人をお招きして30分の会がありました。この時も後半にインプロ演劇ダンス(タンツテアター)になり、気の道の杖を2本持ち出したジャンが杖を床に置くと、たまたま杖が平行になりました。すかさず2本の杖を「道」にみたてた竜ちゃんは「この道をわたって」という場面を創りだしました。そのインスピレーションにはしびれました。
教えるとは教わることなり。