次のシーンは青空。昨年ポレポレ坐でベースアンサンブル+Skypeでジャンさんが参加したセッションで、使われた青空の映像が忘れられません。それを使った映像作家のカイさんが今回も参加してくれています。ポレポレの時、ちょうど5人ともベースを横に寝かせ、奏者も全員楽器の横に横たわった時に急に現れた「青空」。楽器と共に流されて、生きているのだか死んでいるのだかわからないけれど、目には青空。そのイメージが焼き付いています。
キッドアイラックアートホールでのSkype共演で、ジャンさんが愛犬スロッギーを抱いてトボトボと歩いているシーンの時、直毅さんが同じようにヴァイオリンを抱いてしゃがみ込んでいました。何かを慈しみ、抱いている感覚が、震災一週間後の公演ではリアリティがあふれていました。今回もスロッギーが影として出演してくれました。このシーンでは「ああセリム」(「うたをさがして」のレパートリー)を使いました。ピッタリでした。
つぎは「永訣の朝」。直毅さんが堂々と岩手言葉で朗読します。その間、ジャンさんはキチンと正座をしています。表情を極小に変えていたりします。その後「風がおもてで呼んでいる」。直毅さんが急に叫びます。風やみぞれがビュービュー吹いています。5拍子の韓国ビートで支えます。その後、ジャンさんが同じ詩をドイツ語で演技をしながら朗読。東京での初演では英語でした。「パラム」で暗転。と、幕の後ろにいる4人のダンサーがハックメナム(ベトナムの指鈴)を急に鳴らします。私のビートに合わせて、前述の原体剣舞連へ。
多少のミスはありましたが、そんなことは問題有りません。はげしいダンスと丈の音に、シーンが終わった時に自然に拍手が起こりました。ここで転換。幕間に「浸水の森・夜」を演奏しました。この曲は、前述のキッドでの演奏の時に使い、それ以来私にとって震災と結びついてしまいました。
この転換で、4人のダンサーは定位置に寝転び、上に床一面の布がかぶされます。4台のプロジェクターから小林裕児さんの「浸水の森」が投射されます。床面の投射には水滴が動くようなイフェクトが使われドキドキします。やおら布から腕がでてきて四人で白鳥のような腕ダンスが始まります。「ミモザと金羊毛」の不思議な音階のワルツを使いました。希望のようで絶望のようでという感じです。
演奏側にミスがありましたが、ダンサー達はちゃんと調整していました。これこそ実力でしょう。なにしろ腕を出しているだけなので、自分の腕さえ見えません。ましてや他のダンサーなどは全く見えません。優雅な白鳥の足は激しく動いているのと同じような状態だったのでしょう。4回ものカーテンコールはめずらしいことです。
終わった後、日本で言う「アフタートーク」がありました。多くの聴衆が残りました。ジャーナリストもいました。宮沢賢治についての話をした後は、もっぱら原発の話。阪神淡路大震災と東日本大震災の違いとか、話す中で、「なぜ日本は原発を止めないのですか?」というストレートな質問には、ドギマギしてしまいました。その通りですよね。日本の事故を見て、原発を止めることを決めたドイツ。この冬、原発大国フランスが電力不足でドイツが電力を輸出したこと、クエートが原発を断念したこと、オーストリアは原発が完全に出来上がって後、一度も操業しなかったこと、などの記事も読んでいました。核兵器のためという理由のために存続するという理由以外に何かあるのか?個人の拝金主義だけではここまでこないだろう、そんなことも答えていました。
満員の聴衆の中には、この1月旧ソウル駅でのパフォーマンスで共演したインジュンさん、日本からエッセンのダンス学校に通っている人達、ピナカンパニーの人達もいらっしゃいました。ジャンさんはブッパタールではやはり「顔」なのですね。彼のやる事は見ておこうと言う人達が多いのだと思いました。