列車でニーム経由トゥールーズへ。ミッシェル・ドネダが是非寄ってくれ、と言うので行きました。青空のトゥールーズは、これまた春のよう。いつもの元気二百パーセントのミッシェルが、笑顔二百パーセントで迎えてくれました。昨日までヨーロッパでのツアーだったのに、ムリをしてこのデュオ公演を作ってくれました。すぐさま、ザ・リングへ。ミッシェル・マチュー、ジャン・マルクおなじみの顔が迎えてくれます。これは嬉しい。ロデスでの市街劇を共有したのが大きいのかもしれません。「影の時」ツアーでミッシェル・ニン・沢井一恵・今井和雄と訪れたときは、違う場所にありましたが、前回(五年前ソロツアー)からはここで落ち着いています。
照明のアルゼンチン人は五年前タンゴダンサーの奥さんが出産間近でした。その時は、乾千恵さんの「月」を飾って演奏していました。産まれて来る子の名前を考えていた彼は、黒澤明のファンで、この「月」と「明」は似ているけれどどういう意味なのか、と聞いてきました。説明するとウンウンとうなずいていました。今日聞くとAKIRAと名付け、当然ながらもう五歳と言います。何だか嬉しかったです。
聴衆は30人位かな、とミッシェルは予想していましたが、125名という満員盛況。こちらに居を構えた焼物作家の高橋利通さんも奥方メルセデスさんと共に、23歳になったミッシェルの娘モーガンも、サンフランシスコで会った即興ダンサーのヴァレリーさんも、バールさんとお宅でデュオをしたダンサーのアンナさんもいらっしゃいます。
大変好評で、何回も拍手で呼び戻されました。スタッフ、出演者でトゥールーズ中心街に出て、ジャンさんご所望のカスレ専門店へ。豆を中心に鴨、数種類のソーセージを煮込んだソウルフードです。店のスタッフも楽しく会話に参加してきます。30年以上ラ・フリブストからIREAへとみんなで一緒にアソシエーションをやってきているのに、こうやって揃って外で食事をしたのは初めてだよ!というミッシェル。そういうものなのかと意外に思いました。
ミッシェル・マチュー氏をはじめドネダもジャン・マルクもジャンさんのダンスを高く評価してくれました。わがことのように嬉しいです。「即興には自信が無い」といつも言っているジャンさん。かたや「即興」を看板にしている劇団と組織。やはり、大事なのはその人の人となりであることを証明した感じがしました。なにやら、ここにジャンさんをワークショップやレジデンスで呼びたいという話になっているそうで、「橋渡し」業務完了という感じです。
しかし、ここでのレンタルベースは、なかなかの難物でした。ガット弦に張り替えても音が出てこない。なだめすかしての演奏になりました。本日、身体中がバリバリです。ヤッパリ無理をしても自分の楽器を持ってくるか、こちらで一台の楽器を借り、自分に合わせてから、それを運んだ方がいいのかもしれません。私のように、毎回ソロ演奏に近い状況の場合、全身全霊で演奏するしか無いので、楽器は最も信頼できるパートナーでなければなりません。もちろん、始まってしまえばどんな楽器でも弾くしか無いのですが、終わった後の身体はバラバラ・ズタズタになっています。
バールさんは、ジョンオーレさん作の旅用の薄くて軽くてネックが外れる新作楽器を手に入れたよ、と一昨日、言っていました。世界中のコントラバス奏者の悩みです。イギリスで同系統の楽器を作ったバリーガイさんが、ジョンオーレさんに他の可能性を探ったのがキッカケとか。バールさんは唯一の例外を除いて、毎回自分の楽器を持っていくそうです。唯一の例外は、阪神・淡路大震災の時のチャリティーで急遽来日したときでした。弦楽器工房高崎が彼に合う楽器をレンタルしてくれました。
現在、自分のハードケースに楽器を入れて、その旨をあらかじめ伝えて、お金をちゃんと払うと言っても空港でダメと言われることがあるのです。ツアー中にそうなったら、一巻の終わり。かつては、いかに軽く丈夫なハードケースを探していましたが、ヨーロッパのベーシストの多くは、ネックを外れるようにして、専用のハードケースを作るようにしています。
ただ一つの例外は、ブリティッシュエアウェイズです。必ず旧型の大きなハードケースを載せてくださいます!(旅するベーシストの皆さま、これは現時点での確実な情報です。が、何が起こるかわかりませんので、実際の時は、再確認をお願いします。)