ソロ@ポレポレ坐
大変寒い夜、大変あたたかな聴衆に囲まれてソロを演奏できました。親しい顔がたくさん集まっているので、プロとして人前で演奏し演奏料をいただく、という感じがまるでしません。メンバー紹介ならぬお客様紹介が出来そうな感じで不思議な気持ち。とは言っても帰りがけにはちゃんと茶封筒をいただきました。ありがとうございました。音楽のため、あるいは音楽を成り立たせるために大事に使います。
ご挨拶に書いたのが↓
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本日はお寒い中、ご来場、本当にありがとうございました。
ソロCDができたこともあり、今回はソロです。そういえば「徹の部屋」が正式に始まる前、試しにやったのがソロでした。あれから私も日本もいろいろなことがありました。何とか18回目を迎えることが出来ました。
今回頭にある2つの言葉を引用します。
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1:震災後すぐに釜石に入り遺体安置所をめぐる本「遺体」(新潮社)を書いた石井光太さんのインタビュー。
「人間ってね、現実に直面すると自分の役割を果たすことしかできないんですよ。自分の役割を果たさなくてよい状況というのは、生ぬるいどうでもよい世界にいるからです。いきなり目の前に死体が転がってみなさいよ。どんっと、ここに死体が20体くらい転がっていたときに何をやるか。自分にできないことはやらないでしょ。まず自分ができることをやるし、そのなかで自分のアイデンティティというものをつくっていくわけですよね。それは、自分がいままでやってきたことに根づいていくわけです。」
2:海童道さんの言葉には
「音盲に至る要因は、一には音楽家が楽器にとりついているせいによる。音楽家が楽器を愛用するのは当然ながら、それでいて音の基本を究る努力をしない。この努力は初歩であり、もはや無駄であるとなし、そんな無駄を積んでも世上は認めてくれないときめ、新機軸の音楽案出に浮き身をやつす。
そうした建前の音楽家達から楽器を取り上げてみると、無論、音楽家達は忽ちお手上げとなる。だが、お手上げとなった処が、人間を鍛えていく場である。この立場からして音を究める。そうなると一個二個の楽器の音に執着しているのでは無くて、広く音の世界を体験する。この体験の境地がないと、音の本質と、微妙も変化も知り得ない。
このことを逆に示すと、殆ど音楽家は楽器にとりついたきりで離れ得ない。総ては楽器のおかげで名を売るという楽器の奴隷であり、音に接し乍ら、音とは何ぞやとする音哲を究めていない。」
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いやキビシイ。どきっとします。仰るとおり忽ちお手上げ、何も出来なくなります。
しかし、ここにポレポレという空間があり、一台の楽器があり、私が居り、みなさまがいらっしゃる、ということから始まるものを目指して演奏しようと思います。
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曲目:
第一部 ソロCDからの素材を元に
ORT 1 倍音をすくい上げて
ORT 2 徹チューニングで
ORT 4 グナワから
ORT 5 韓国の音楽から
ORT 8 横に置いて
第二部
ピアソラ没後20年!ということもあり
タンゴ・エチュードNo.3
ブエノスアイレスの秋(ピッチカート)
鮫(カンドンベ強調)
あのころ(ピシンギーニャ)
デスバイラーダ(ガロート)
雲(ジャンゴ・ラインハルト)
サラバンド(J.S.Bach)
コントラバヘアンド(ピアソラ)
忘却(ピアソラ)
アンコール
ケブラディーナ(ナザレー)