引っ越しとか、ツアーとか

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突然ですが、みんなでヴェニスに行って来ました。↑
ウソです。
運河は運河ですが、飯田橋の運河です。
小林裕児さんが撮ってくれました。彼が撮っているゆえのみんなの笑顔でしょう。多忙だったジャンさん帰国前にみんなで会いました。外で会って飲み食いするのは嬉しいですね。このカナル・カフェでは、日本人の利用者は少なく、ノンジャパニーズがしばしば利用しています。彼らはこういう所の使い方、公園の使い方、遊歩道の使い方、パーティの仕方、花屋の使い方、酒屋の使い方など1枚も2枚も上手です。
段ボールを開けることばかりで1日が暮れますが、そうもしてはいられません。ミッシェル・ニンのツアー開始が1ヶ月を切りました。早々に連絡を取り合い、4日にウェルカムパーティを都内某所でやることになったり、数カ所にチラシを送ったり、未定の宿舎の選定をしたりはじめました。途中で止まっていた私自身によるゲスト紹介も3人付け加えました。http://travessia.petit.cc/0engine/tokyo_bbs.cgi
引っ越しモードから、だんだんとツアーモードに切り替えます。引っ越しと言えば、世の中こんな事があるのか、という事がありました。お盆の頃に恵比寿で演奏した田辺義博エスタモス・アキで共演したチェロの松本ゆり子さんのことです。一週間前のリハで初めてお会いしました。堂々たるチェロを響かせる演奏家でした。休憩中に、あと少しで引っ越し,と言う話をすると、どこへ、津田沼、私は津田沼、どの辺、藤崎、私も、電話局って言う停留所、私も、じゃ歩いて二三分かな。
ここまでは、あるかもしれないでしょ。
しかし、話はここから。じゃ、どこから越すの、幡ヶ谷、えっ家の旦那の実家が幡ヶ谷でスタジオがあり私も週2~3回は行くの、へ~幡ヶ谷のどこ、ふるや古賀音庵の横の道、それは私の家から歩いて一分。
こういうことがあるのですね。驚きました。
引っ越し前日は、ビッチャーズ・ブリューで古谷暢康さんとのデュオ。そうです。3月11日に予定されていて、私も向かうことは向かったのですが、3キロ3時間かかり、諦めました。車中から見た徒歩帰宅の人の不安と怒りのエネルギー、道徳を無視した運転、さまざまな人間模様を見ました。ビッチャーズ・ブリューもいつ閉まるかわからないし、古谷さんもポルトガルへ帰国するというので8月中に再ブッキングしたのでした。これで私の311にまつわることどもの1つがやっと片付きました。
エアジンでのベースアンサンブル+喜多直毅の時に聴きに来てくれ会いました。その時の会話や、後に送られてきたメールがとても丁寧で、ちゃんとした日本語で、いろいろとわかっている人だなと思っていました。ミュージシャンでは結構めずらしい? 
あの時演奏したフランスの古楽からトルコ軍楽隊への流れについての質問はちょっとビックリ。それもそのはず、彼はトルコに5年、ベルリンに5年、ポルトガルに5年いたそうです。各所の言葉はマスター済み。面白いところばっかりで住んでいるな~という印象でした。
マルセル・モイーズの呼吸の話から、ネイの吹き方、古楽から入ったことなど、なるほどなるほどというキャリアの持ち主。どこでもいいから、どんどんやってくださいね。
それでは、逆に、日本になんでいるの?とも思います。高岡大祐さんにしても、そうです。高岡さんより古谷さんの方が、日本に馴染みにくいかもしれません。人は得てして苦手な職業に就くという話が好きですが、人は得てして苦手な場所に住み、苦手な人とつきあい、苦手な生活を送るものなのでしょうか?何のため?
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撮影 Eigen Kino

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