十日町

土砂降りが一息つき、午前中に十日町へ向かった。田中角栄邸から真っ直ぐ行けるように作った関越自動車道。存命中は自宅から2時間ちょいで新潟へ行けたそうだ。
私はスピードを出さない方なので3時間半で六日町インターそのまま国道で十日町へむかった。あちこちの崖が崩れ、道路が部分的に決壊、崩れた土砂の下にたわわに実ったコシヒカリ。無惨。このあたりは魚沼にも近く八海山にも近い。
3月12日の大震災は地元では県境地震と言われている。長野側の栄村は甚大な被害をうけたが、不幸中の幸いで死者がでなかった。だから、だから、だから、だから、報道機関がちゃんとした取材に来なかったという。死者の数で報道の「量」を決めるマスコミ。記者クラブ制度を持つ日本のマスコミは世界最悪レベルだそうだ。旧ソ連より、中国より酷い。この震災・原発事故でそのことが知られた。新聞もテレビも止めた。
壮弦さんの思いのこもった招待だったので、少しでも町のことを知りたかったし、翌日のチャリティが午後すぐだったので、一日前に現地入り。温泉に浸からせていただきました。このあたりの観光業の風評被害は甚大で、期間限定で町が客ひとり5000円の補助をだしていました。助かりました。ありがとう。
翌日午前に壮弦さんと会いチャリティ会場視察。演歌歌手のリハ中。それにしてもPAの音がうるさすぎるだろ。これは病気レベルですよ。ホントに。
ロック系歌手がカラオケで歌ったり、落語家さん、コント山口君竹田君、石倉三郎さんあたりを目当てに多くの聴衆。その中で、わたしのコントラバスで壮弦さんがライブ書、すぐに壮弦塾の生徒さんたちも加わる。会場の雰囲気を一変させました。夕刊のトップ記事写真が私たちだったので、評判も良かったのかな。
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みんなで温泉に浸かり、今夜の宿は「光の館」。ジェームス・タレルの設計による建物が宿となる。学芸員さんにいろいろと注意や誓約書を書かされる。タレルの作品と言えば、ずいぶん前、熊本現代美術館に設置してあるタレルの光の空間で元藤燁子さん・工藤丈輝さんとトリオでパフォーマンスをしたことがある。天井に設えた作品の青を見ながら3人+コントラバスが並んで寝たのを懐かしく思い出す。
こういう自然豊かな小高い丘の上の建物なら、本当を言えば、満天の星、月、蛙の合唱、虫の音、雨の音、風の音こそが最高でしょう。何でこんなところで人工的に計算されコンピューター制御された光を観るのでしょう?
なんてことを言ってはイケマセン。
明日の打ち合わせを兼ね、町一番のへぎ蕎麦屋で会食。イヴェントを立ち上げ実現までもってきたおじ様たちの熱意がみなぎっています。50台~60台が中心。ブナ林も整備して野外でイヴェントをしようということでした。蕎麦も酒も米も本当に美味い。豊かだ。本当に豊かだ。
翌日、雨。野外のイヴェントは中止。山寺に会場を移して開催。山形の時もそうでしたが、お寺は地域の文化センターですね。林野庁の人のブナ林に関するレクチャーがあり、質疑応答。やはり「放射能」問題。今降り注いでいる放射能だけではなく、汚染されたドングリを食べた熊、それを食べるヒト、というような大きな生態系の話になる。みんな真剣。
その後、コシヒカリのおむすびをいただき、私のソロ、壮弦さんとのデュオ、その後、集まった子供たちも参加。何十メートルもの布を持参した壮弦さんの目論見は大当たり。明日もやりたい、とかいう子供もいて、とても興奮した空間になった。
コントラバスもみんなに少しずつ弾いてもらったり。新生児がコントラバスから目を離さないのはとても印象的でした。
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やんややんやで終了。そのまま帰宅路へ。渋滞の関越を抜けて帰りました。
翌朝のニュースで十日町の保育施設での高濃度セシウムの話。まさにピンポイント。
香り立つたわわに実ったコシヒカリは後2週間で収穫。そして、汚染テスト。広大な土地の実りを思うと穏やかになれません。
とまれ、壮弦さんを始めみなさま、大変お世話になりました。

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