裏の私の文章は↓
久田舜一郎:伝統と現代
2つの大震災
私が舜一郎さんに会ったのは、阪神淡路大震災のチャリティイヴェントでした。多国籍のセッションでご一緒し、外国人奏者の反応が明らかに私と違うな、と直感しました。それを簡単に「日本」とか「血」のせいにはしたくありませんでしたが、さまざまな思いが胸に詰まってしまったように感じ、翌日、倒壊しかかったビルの部屋で行われた舜一郎さんのソロにおじゃまし、共演を願い出ました。その時の氏の「もの狂い」に、自分で知らなかった自分が激しく反応し、爪は裂け、血が飛びました。そういう演奏をした自分に驚きました。
それ以来、なぜ氏の演奏がスゴイのか、共演を通して知ろうと思い、様々な機会を持ちました。東京の小劇場の舞台では、氏の声と鼓が名うての役者の存在を吹き飛ばし、フランスの現代音楽祭で、真夜中、月に向かって吠えた氏はフェスティバルのピークを作り、居並ぶ現代音楽最前線、アフリカの民族音楽家、百戦錬磨のインプロバイザーに感嘆と驚愕を与えました。
東京の能楽堂で「道成寺」を観た時は、シテとの丁々発止の乱調子に心底、驚きました。氏は助手を二人したがえています。一人は小鼓の皮に湿り気を与え、一人には椅子をささえているのです。一瞬たりともシテから目を離さない本当の意味の「真剣勝負」でした。油断したら「死」が待っているようでした。世界の即興音楽シーンを観ている私は、この現場は、滅多にない最高レベルの即興の場であることを即座に感じました。
なぜ、これほど凄いのか?かつてこう聞いたことがあります「あんなにすばらしい演奏を支えている能の哲学は深いのでしょう?」それに対して「いやいや、私は『型』をやっているだけです。」とお答えになりました。なんとカッコイイことばでしょう。
昨年春もフランス・ドイツとご一緒しました。どんなオルタナティブな(汚い)場所でも正装に着替え、即興を遊び、高砂を謡いました。決まっていることをやっても「即興」なのです。「今」でなければ、「ここ」でなければ、「私」でなければ出来ないことをつきつめてやることは真の意味で「即興」です。
久田舜一郎氏は、さまざまなオファーに対し,その人が有名であるかとかはまったく関係なく、答えてくださいます。それは氏の尽きない好奇心と芸に対する謙虚さがなせるワザでしょう。能以外での数多い共演者の中で、今回共演させていただくミッシェル・ドネダは特別だ、とおっしゃいます。何か通じ合う特別なものがあるようです。ル・カン・ニンはジョン・ケージの禅に基づく「竜安寺」を演奏していますし、何より彼はアジア(ベトナム)の血を持っています。感性は完全なフランス人の現代音楽演奏家ですが、15年前の私のように、久田舜一郎氏の音によって、彼の知らない彼自身が目を覚ますのではないかとワクワクしています。
「テツさんやミッシェルとの共演が、実は、能の舞台でも役に立っているのですよ」とさえおっしゃいます。話半分にしても本当にありがたいコトバとして私自身の大いなる励みになっています。「伝統」とは異端と異端が結んだ線なのではないか、と思うことがあります。だからこそ大地から生まれた本物の力があるのではないでしょうか。失礼な言い方になってしまうかも知れませんが、久田舜一郎氏が今日のようなコンサートで演奏する「異端」性は、真の「伝統」の証しではないかと思います。東洋も西洋も越え、伝統も現代も越え、即興さえも越える,そんな瞬間を夢見ています。
2011年3月11日の大震災。3/11以降は,それ以前と同じではありえません。
この年に、ここ名古屋で久田舜一郎さんとミッシェル、ニン、私とのコンサートは、たいへん意義深いものだと思います。実現させてくださったみなさまに感謝を捧げます。
(齋藤徹)