DVD序文

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DVDのタイトルを「ベースアンサンブル弦311」として、次のような序文を書きました。
2011年4月16日から5月8日まで6回のライブをし後半の2日間でこのDVD収録をする計画を立てました。およそ半年前からメンバー選択や演奏曲など、それはそれは楽しく準備を進めてきました。
そして3月11日に東日本大震災・津波そして原発事故が起きました。このプロジェクトにももちろん大きな影響がありました。
メンバーの一人アメリカ人のパール・アレキサンダーは、日本を愛し数年間滞在中でしたが、やむなくアメリカへ帰国しました。当時、フランス政府はジェット機二機を用意し自国民の帰国を呼びかけ、各国から来日差し止め勧告がで、在京の大使館・大企業がヘッドオフィスを大阪に移転する状況でした。今日・明日何が起こるかわからない状況でした。1ヶ月後、自分の仕事場は日本だと、家族・友人の反対を押して再来日。このライブシリーズに復帰したのです。
4月16日に予定されていた第1回目ライブでは、ピナ・バウシュ舞踊団のゲストダンサー、フランス人ジャン・ロラン・サスポータスが参加予定でしたが、フランス政府の勧告、航空会社の都合もあり、来日できず、急遽ドイツ・ブッパタールからSkypeでの参加になりました。会場の壁にドイツで踊るジャンさんが映し出され、私たちと「共演」をしたのです。
5月8日の最終ライブでは、南アフリカ共和国のダンサー、ジャッキー・ジョブとジャン・ロラン・サスポータス(1ヶ月延期して、来日しました。)がゲスト。ジャッキーは、放射能を心配し、小さな娘のために数年滞在した日本を去ることを決めたラストライブでした。現在はケープタウンに暮らしています。
毎回のライブがそれぞれの生き方を普段以上に表していました。
演奏家に限らず、あらゆる表現者はこの未曾有の事態に対して自分の表現で何かを表さずにはいられないでしょう。いつ・どこで・何をやるかをそれぞれが探っているのだと思います。あまりにも重大な出来事なので適した方法を探すのは楽ではありません。私たちは、ちょうどこの時期にこの企画が予定されていたので、ある意味ラッキーだったのかもしれません。
連日の数限りない余震で睡眠もろくに取れず、停電が続き、ベース移動用のガソリンもなかなか手に入らない中、何回かリハーサルをくり返しました。再来日したパールさんを出迎えた時のことは忘れられません。戦友という感じでしょうか。そういえば、地震の時、メンバーの田嶋真佐雄さんと自宅でリハーサルをしていました。二人とも片腕で楽器を支え、片腕で本棚とCD棚を押さえ、いつ止むとも知れない長い揺れを耐えました。部屋に置いてあった大徳寺の輪、チベッタンボールが揺れに耐えかねて床に落ち、リーン、カーン、ゴーンと音を繰り返すのには、笑うに笑えずでしたが、結局二人とも笑っていました。究極のユーモアかもしれません。
あの頃の張り詰めた感情は忘れようもありません。ともかく、いつ何が起こるかわからないのだから、やりたいことをやろう、悔いの無い生き方をしようという日頃忘れがちな実感を持つ日々が続いていました。
聴衆も違っていました。普段、保守的な人達も「何か違うもの」を求めているように見えました。演奏中に余震が来ると演奏者と聴衆が目を合わせて演奏を続けるべきか、退避すべきかを確かめ合ったりもしました。即興のコンサートに以前より多くの人が集まることも多く、お互いを支え合うような大きな共感が生まれたのを覚えています。
私たちのこのプロジェクトは、この稀有な状況の中での1つのドキュメントになっているのでしょう。
先週、被災した東北地方に行き中学校・お寺・避難所でソロをしてきました。今生きていること、楽器を弾いていること、聴いてくださる人がいること、音・音楽の力、人のつながりをいつも以上の実感を伴って感じました。
311で亡くなった方、いまだ行方不明の方、原発周辺から避難している方、そして生き残ったわれわれ、すべての人たち・動物たち・魚たち、植物たち・虫たち・菌類たち・微生物たち・土・鉱物たち・神様,仏様たち、森羅万象にこの音を届けたいと思います。 
                          
2011年7月11日 震災から4ヶ月目 (齋藤徹)

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