インタビュー2/3

インタビュー2/3です。
(投稿1回5000字以内ということです。)

———-バッハみたいな曲も弾かれますね。
 
先日、喜多直毅(vl)とはリュリやマラン・マレをやった後、インプロをやりました。さとうじゅんこ(歌手)とは、自作の歌(乾千恵作詞など)や、ジャワガムラン、ブンガワン・ソロ、ビオレータ・パラ、最上川舟唄、真室川音頭、はてはザ・ピーナッツのヒット曲まで、です。あまりうまく弾けませんけど() そしてその間にインプロを入れました。
 
———-そういう音楽のジャンルを分けないという感じが、即興ということからはちょっと珍しいな、という感じがします。
 
あんまりよく思われてないかもしれない。
 
———-()それは・・・どうなんでしょうか。
 
()即興なら即興しかやらない人の方がわかりやすいし、仲間もファンもスタッフもできやすいでしょ。曲の方から即興をよく思わない人はそれほど目立たないけど、即興やっている人が、「あいつ、歌なんかやりやがってとか、今度はタンゴだってよっ」とかうっすらと聞こえてくる。成人してから始めてる、生き方としてやってる。いい音楽家、いい演奏家になろうと思ってやっているわけじゃないんで。自分としてはいたしかたない・・・。
 
———-齋藤さんからみたらいい音楽、わるい音楽というより・・・。
 
生き方そのものですからね。その時々で懸命にやってきただけなんで、ジャンル分けの考え方自体がちょっとなじまないですね。いままで50枚近くCD出していますが、「ジャンル」で分けられないものばかり。
 
———-ジャンルに囚われるということかおかしい。
 
それでも、自分の中で即興か作品演奏かによって、場所や日時を分けてきました。頭や身体の使い方とか絶対違うはずだし,と思ってね。でもこのところ、一緒に演奏することも試しています。それほど違和感なく、自然にできるようにもなっている、それが自分の中での発見だし、これでいいのかも、と思うようにもなりました。自分の中の即興と歌とのジャンル分けも、やっと、無くなってきたのかもしれません。
 

————————————-JASMIMレター0025(2011.1.8)[齋藤徹さんにインタビュー#2/3]
インタビュアー・編集:若尾久美
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———–(インタビュアー) 企画されているツアーですが、やはりそういう気持ちの上で出会いがあった、ということですか?
 
(齋藤徹) ヨーロッパは、バール・フィリップスさんが全部道を開いてくれて、とてもいい人たちに会えて、いままでずっと続いている感じです。彼は来年(2012年)来日予定です。本人もすごく楽しみにしてるし、お歳からいって最後になるかもしれないし、是非とも成功させたいです。
 
———-今年はミシェル・ドネダさん、ル・カン・ニンさんのお二人がいらっしゃる。いつですか?
 
10月です。ミシェルは、もう何回も日本に来ています。私にとって兄弟とか悪友とかの感じ。ニンさんは初来日です。ベトナム系のフランス人。見た感じアジア人なんですけどメンタルは完全にフランス人。いわゆる「天才」です。
 
テクニックがあって、研究もものすごくしている。練習はしないようですけど・・・。韓国シャーマン音楽も日本の海童道ももちろん知っています。現在は大太鼓1つを横に置く小さいセットですけど、最初に会ったときはものすごい大きいジャングルジムみたいなセットでした。でも今と音の種類や豊かさが変わらない!んですよ。いつでも口をあんぐりさせてしまうような演奏をサラッとします。サウンドが不思議に少しアジアっぽいかなって感じました。なんでかな?という事に興味があって。私がお能の方とか邦楽の方とやる時、なぜか「共演」できてしまう。これってなんだろうなっていうのと同じ・・・簡単に「血」だとか言いたくないから、疑問のままに持っておいて・・・一緒に演奏し、ツアーする(生活する)ことで感じたいなと。
 
——–もうこれまでに演奏されたんですね。パーカッションですよね?
 
ヨーロッパではよく共演しています。彼は、スティックで皮とか金属を叩くっていうのを完全に超えちゃった・・・吹いたり、こすったり、管楽器の音も弦楽器の音もなんでもだしちゃうような。実際、私の出す音色のほとんど持っているんじゃないかな、演奏していてどっちが出しているか分からなくなるんですよ、ホントに。ミッシェルのサックスも同じなんです。同じ音色で繋がる何か、というものも考えたいですね。
 
———-こうやって呼ばれる時、助成金とかあるんですか?
 
今回、なかなか取れなくてね。まだ申請できるところがいくつか残っているんですけど。
 
———-齋藤さんが日本で申請される?
 
ハイ、向こうでも彼らがトライしています。なんとか赤にならないようにしたいです。そうしないと、先に繋がらないし・・・。
 
———-大変ですよね。
 
ええ、だんだんますますどんどん大変になってきました。今、いろんなミュージシャンがどんどん来るようになってね。ドアギグでもいいって、やる人が多くなっちゃった。自分の国から渡航費・滞在費・ギャラまでもらってくる人もいるし、演奏場所がたまたま日本でした、と言う人もいます。地方に首都圏の数倍のギャラをお願いするのもオカシイと思いますし・・・。
 
———-ミュージシャンとしては、ある程度仕事にならないと困ると思いますが。寝る所と食事、プラスアルファ、ドアマネーみたいなもので、(招聘は)可能なんですか?
 
そうしたくないです。30年以上、人生をかけてやってきている人が遠いところやってきて、聴いてもらおう、一緒に考えようとしているのに、その日の食事と宿泊プラスちょっと、では、「人として」申し訳がない。私がヨーロッパで演奏する場合、ちゃんとしてもらっています。彼らとは、20年近い信頼と共演の成果が今日にあるわけですから、それに最低限、報いたいと自然に思います。
 
———-私はこういう事態は何かが欠けている、何か良い方法はないのかと思うんですけど。お金に関することの全部がミュージシャンにいっちゃう、というのは変ですよね。
 
50歳台の人間の仕事の報酬とすると、信じられないくらい安いですよ。そのレベルにさえ達しないことが多い。でも、それが現実です。それを30年やってきているんです。フランス、ドイツには、アンテルミッタンなどのある種の失業保険制度もあるし、スイス・オランダ・ベルギーはもっと恵まれているようです。親しいフランスのプロデューサーは「音楽はパブリックサービスだ」と言い切りますからね。そういう人たちとずっと付き合うことが出来たんで、向こうでやるほうがよっぽど楽なんです。日本にはそういう制度はない、仕事をしなければゼロ、仕事をしてもかえって赤字、なんて、ウソじゃないんです。
 
———-じゃあ、ひょっとしてこれを読んでいらっしゃる人の中で、もし、(コンサートの開催に)興味ある方がおられたら言っていただけるといいですね。
 
いいですね~。お金が欲しくて演奏していると言う割合が低い「絶滅危惧種」のような私たちです。日本という風土のなかで人と自然と出会い、新たな発見や共感をもとめているわけです。中身の良さは保証します、ハイ。
 
———-そのためによくやってらっしゃる箱とかはあるんですか?
 
美術関係、お寺関係が多いのは私のちょっとした誇りです。首都圏では、演奏場所の「地図」が変わりつつあります。経済を無視すれば、演奏する場所はたくさんあり、増えてさえいます。でも「どこで」やるか、というよりは「どう」「なに」をやるかが大事です。
 
———-即興の面白さは、ソロはもちろんですけど、他の人とやるところにあるのかな、と思いますが。
 
人と演奏するのは、相手が自分の鏡になるから良いんですよ。「三人」というのは、デュオの関係性より多層的ですし、ゲストを入れるにも楽、そしてもちろん経済もね。出会い頭のおもしろさや、異種格闘技とか言っているおめでたい時代ではないことは先刻承知していますし。
 
ヨーロッパの進んだものを見せるという意識は全くありません。彼らも発見がなければ来ないでしょう。お金がたくさんあるからって意に沿わないところでやりたくないし。しかし、ちょっとした余裕やプラスアルファの助成があれば、小さな所での演奏、若い人たちの体験共演とか、安価なワークショップ、決してこういうコンサートには来ない人たちのための演奏、障害者施設などもできるという現実もあるわけです。そうやってより多くの繋がりや、きっかけの場になればなによりです。私たちの世代はそういう役割もあるわけです。
 
ブッキング1つにしても、1カ所の移動にしても正直言って大変ですが、そういうのも全部含めて僕らの人生であって演奏活動であって、現実であると思っています。
 
日本の状況を愚痴っていたら、「life is too short to complain.」ってドイツのベーシストに言われちゃった。

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