「どうしてコントラバスを弾いているの?」とよく聞かれます。インタビューものだと必ずと言っていいほど。それだけ、コントラバスというと珍しい、というか、もっとハッキリ言えば、普通は選ばないでしょう、というコンセンサスがあるのでしょう。そうでしょうとも。誰も好きこのんで、こんなでかい、目立たない楽器を選ぶものか。
でも選んでしまった。
10数年ぶりに再会し、5月にはソウルのMODAFE(モダンダンスフェス)で共演する南貞鎬さんとのミーティングでも問われました。普通のインタビューでは茶化したり,ごまかしたりしますが、相手が共演者となれば、本心を話そうと思いますが、私自身もハッキリとは分からないというのが真実。
と、すかさず「それは、楽器がサイトーさんを選んだんですね。」と流ちょうな日本語で困った私をフォローしてくれました。
なるほど、良い言葉をいただきました。チャリーン。(その言葉買います。)
2/28エアジン、コントラバス4本+バイオリン1本での演奏。
バイオリンと共演するとイヤでも実感する事実「バイオリンは、メロディを取るソロ楽器として特化されつくした最終形だろう」そして「コントラバスは伴奏楽器として特化されているのではないか?」ということです。
私は、普段、コントラバス同士のつき合いの方が多いので、あまりコントラバスの長所・短所などは感じずに、何とかこの楽器で良い音楽をやろうと工夫をしていますが、いざ、優秀なバイオリンが入ると、音楽がすぐさま「できあがって」しまうのに唖然とします。拍子抜けするほどです。
CD「アウセンシャス」を録音したとき、録音直前にバイオリンを入れることになりました。ピッタリの奏者が見つかったからです。それまで2本のコントラバスで四苦八苦して来たことが、あまりにもあっけなく解決してしまうので、ビックリでした。
ヒトがさんざん苦労しているのに、なにさ!とも、卑怯者!と思っても良いのですが、すぐにバイオリンと演奏する機会が無くなり、コントラバスアンサンブルの方に興味が行ってしまうので忘れてしまいました。
ところが、喜多直毅さんに会ってから、共演を重ねることになりもう1年になりました。これは私にとっては「とても長い」という範疇に入ります。長くつきあうことになると、彼に私がやりたい部分を託し、私は伴奏しようと思うことが増えました。そしてそれはそれでとても楽しいのです。逆に、私は私で、彼に託されるベースってどんなだろう、なんて想定しながら弾くわけです。
音楽をやるなら、ベースが低音を支え、ギターかピアノがハーモニーを出し、打楽器がリズムを担当し、フロント楽器がメロディをだし、という考え方が初めから私には馴染みませんでした。この歳になってやっと「バランス」・「オーソドックス」ということが分かりだしたのかもしれません。バランス・オーソドックスから外れてずっとやってきたからこそ、バランスがわかるのだ、と負け惜しみを言っておきましょう。
かつて、好きでないフロントの後ろにいて、バッキングしたい気持ちにならず、ちゃんとベースを弾かないでいました。泣く子も黙る高名なリーダーに叱られました。でも悪いとは思っていなかった・・・・
直毅さんにしてもバイオリンという楽器に「選ばれてしまった」のだから,仕方ない、と考えると妙に納得します。お互いがそれぞれの楽器に選ばれてしまった,そうであるならば、それぞれの楽器に導かれて行くしかないべさ、というわけです。直毅よ、バイオリンを遂げよ。私よ、高志よ、パールよ、和弘よ、コントラバスを遂げよ。(石原吉郎さんのパクリです。「ユーカリよ,緑を遂げよ。」チャリーン)
それぞれの楽器に選ばれてしまった者同士が演奏することを「アンサンブル」と呼ぶのだ、コアにあるものが通い合うことが何より大事と思うようになりました。
5月初旬まで、コントラバスアンサンブルの方に集中します。一山越えたら、またその時に考えましょう。見えてくる景色も違っているはずです。
写真は2点とも荒谷良一さん撮影。