ご心配かけて済みません。
薬で収まりつつあります。
いずれにせよ、薬で収まり、生活改善せよ、というのですから、贅沢な病です。
一生抱えて生きていく病や障害を思えば、泣き言は一切言えません。19日のライブも必ず行きます。
足を引きずり引きずり、いつもの商店街を病院へ向かいましたが、すれ違う人、追い越す人、自転車、バイク、自動車がどれほど恐かったか。常に、こういう想像力を持たねばなりますまい。
ごく最近、不慮に事故で亡くなってしまった知人もいました。大阪センチュリー交響楽団の首席コントラバス奏者・奥田一夫さん。趣味だったマウンテンバイク事故だそうです。訃報は、フランスのバール・フィリップスさんから聞きました。日本の新聞にも多く出ていたそうです。
バール・フィリップスさんが議長をしていたISB(国際コントラバス協会)リッチモンド・コンベンションで一週間ご一緒しました。バールさんが日本のコントラバス奏者特集を企画してくれました。スエーデンから森泰人さんがジャズを、奥田さんがクラシックを、私がオリジナルスタイルを披露しました。観客全員がコントラバス奏者という特殊な環境。コントラバスを弾いているという共通の感覚が全体を覆っていて素晴らしい経験でした。
ヨーロッパツアーの後に、リッチモンド入りして準備をしていると、奥田さんが共演者・お弟子さんを連れてリッチモンド入り。ところが、あろうことか、奥田さん持参の(世界的に)貴重なコントラバスがハードケースの中で全損していたのです。繊維1本1本を大事に確保していました。そのまま、日本に持って帰り、千葉の園田さんの手で完璧に戻ったと言うことです。
そんな大事故にもかかわらず、演奏する楽器を選び、ニッコリとリサイタルをこなしていました。ラバトのカルメンを、ユーモアあふれる演出で演奏し、三善晃さんのリタニアをベースアンプを使って演奏するなど、たいへん意欲的でそして好評でした。
食堂で一人で飯を食っているのを見つけると必ず声をかけてくれ、そのころ馴染みの無かったウェブ・メールのやり方を教わったりしました。その後、大阪で沢井一恵さんと現代音楽をやったとき、お知らせしていないのに、聴きに来てくれたり。
コントラバス界の充実を常に考えていたようです。ありがとうございました。ゆっくり休んでください、としか言えません。