「何色が好き?」と聞かれたら「紅葉の色なら全部」と答えている。先週末より、例年に比べおそい紅葉を満喫した。友人の結婚式・披露宴の音楽を頼まれ東北に小旅行。車で移動したため、快晴の山々・稲刈りの終わった田園風景を身近に味わうことができた。眼も身体も喜んでいる。もう都会にはほとほと飽きたぜ、ったく。
ホテルで行われる挙式・披露宴は、謂わば、世の習いの象徴。何の工夫が無くても、粛々と、当たり前に物事が進むようにできている。よくある祝辞、よくあるキャンドルサービス、よくある花束贈呈、よくあるケーキ入刀、よくある音楽、よくある余興、よくある引き出物、二次会・・・・・それでも良い。
こういう式は、当人のためというよりは、両親・親戚のためにやるようなものなので、通常通りに進めば、涙あり笑いありで無事に終了となるが、新郎がプロデュースを仕事にしているので、特徴を出したい、ということで私に回って来た。
ザイ・クーニンの両親の世代では、彼らの大事な仕事は結婚式の音楽だったと聞く。シンガポール政府がいくらシャーマン系の儀式を禁止しても、結婚式の音楽だけは禁止できなかったと言う。世界中で結婚式には音楽が必須。歌わなくちゃ、踊らなくちゃ。音楽の本来の役割と思い、つとめさせていただきました。
今の世の中の結婚式音楽を始め流行り唄もあまり知らないので、組み立てから大変な作業の連続。定番を外しながら、自作も折り込み、世界のすばらしい歌を配置した。もちろんコンサートではないので、目立ちすぎても行けないわけで。精一杯「役に立つ」音楽を目指す。
新郎新婦も、司会者も、来賓も詩を朗読する場面があった。(真壁仁・宮沢賢治・吉野弘・岡部伊都子)新郎両親が長年農民文学運動を続けている影響だろう。良い感じ。
やはりというか、あたりまえだが、来賓100人全員が音楽を聴くわけはない。昔話もしたい、懐かしい人に会える。アルコールも入って声も当然大きくなる。
会場のワイヤレス拡声装置を通すのも気が引けたので生音でやった。そのため遠くの人には充分聞こえなかったかもしれない。プロデューサー新郎はさすがにシミュレーションができていたようで、事前に私たち(さとうじゅんこ・歌、喜多直毅・バイオリン、私)の音を録音してCDRに焼き、引き出物に入れた。演奏家は、自分の都合の良いように、いつも奇跡が起こることばかりを夢見ているが、プロデューサーは現実を知っている。
むがさり唄と名づけられたCDには小林裕児さんのオリジナル版画で彩られていた。むがさりとは当地のコトバで結婚・花嫁のことを指す。当日演奏した20数曲の半分が収められた。
私と乾千恵さんの共作三曲、ブンガワン・ソロから最上川舟唄・真室川音頭・チリ、メキシコ、アルゼンチンの唄などなど。さとうさん、喜多さん本当にお疲れさま。おっと、忘れちゃいけない、新郎新婦おめでとうございました。
民謡では踊る人もでてきたり、二番で終わるはずの真室川音頭は「もってこい」の合いの手で続けざるを得なかったり、「夕暮れの数え歌」では会場が静まりかえったり、「恋のバカンス」で大きな拍手が来たり,ブラジルの新旧の名曲は歌心・祝祭感に溢れていることを実感させてくれたり、沖縄の六調で盛り上がったり、直毅さんとタンゴで遊んだり、ビオレータ・パラの「ありがとういのち」でしんみりしたり、バッハはやっぱ良いなと思ったり・・・・
至らないことはさまざま有りましたが、いろいろと鍛えられ、学び、気づき、味わった日々でした。
当日の朝、「ムム、ひょっとして」と思って、すっかり忘却の彼方にあった私の結婚記念日を調べたら27年前の同じ日、というおまけまでありました。