100万円の仕事を年に1回するより、10万円の仕事を10回するほうが、さらには、Ⅰ万円の仕事を100回やるほうがうれしい演奏家は多い。もちろん、聴衆に伝わり、共演者・スタッフに伝わり、自分に伝われば、という条件は付く。お金よりも,演奏が好き、人に伝わることが好きという「おめでたい」人種だ。
タンゴの2回の黄金時代は、第一次、第二次世界大戦の時期と重なる。それは、アルゼンチンが参戦せずに、小麦などを輸出して国全体が潤っていたからだそうだ。第二次大戦後のアメリカ合州国のジャズ・ロックもそうだろう。演奏するものが増え、聴く人が増え、シーンが活性化する。才能も刺激され花開く。良い循環ができあがる。
私の活動でも、バブルを少し体験した。劇団の音楽をやっていて、一万坪の工場跡地を使い放題、何百台もの照明、PAシステムも無償で最新式が提供され、有名ブランドデザイナーの衣装も提供された。PAシステムを見学にチャーターされたバスで関係者が大勢くる。楽器を載せて帰る時、靖国通り、歌舞伎町前では、タクシーが三重に待機していて、普通自動車は一車線のみで渋滞。
バブルやブームは来る、が、それをどうやって「使って」次に伝えるものを「残す」かがより重要だろう。
今、元気な国の代表はベネズエラ。もちろん石油による経済に多くを負っている。正式の国名が「ベネズエラ・ボリバル共和国」というくらいだから、シモン・ボリバルの意思(南米の統合)を引き継ぐ思いがある。もともと豊かな国だったので、「タンゴ」「ショーロ」などと名前をつけて外国に「売る」必要さえなかった、というのが、ベネズエラ音楽・社会について詳しい石橋純さんの説だ。余談だが、ちょうど一年前にやった「オンバク・ヒタム」座・高円寺で、田中泯さんのかぶっていた帽子は、直前にチャベス大統領に呼ばれて行った木幡さんのお土産。
クアトロのリズムカッティング、アルパの低音弦でのリズム(これは私が試みた17絃箏のリズムカッティングに似ているのだ)、5拍子をダンサブルに使うところなどが私の「壺」だった。アンサンブル・グルフィーオを中心にCDを聴いた。「そこまでしなくても」と感じるほど上手い。一方、西欧のオーケストラとの共演も進めていてそこには、輝かしい自信と国威発揚と一方、西欧に対するアンビバレントな感覚もあるように見える。日本にも大使館の肝いりでグルフィーオは来日しているそうだ。
自分のいる時代・国によって演奏家が(人が)右往左往するのは必定。良いときは良いでしょう。悪いときは辛いでしょう。しかし、チリのビオレータ・パラさん、ペルーのチャブーカ・グランダさん、アルゼンチンのアタウアルパ・ユパンキさんのように、結晶と成って残るもの、そこへの視線をわすれないこと、それが大事。音楽はそういう力を持っているわけだから。