ダンスと音(4)

私の頭は、理系ではありえないでしょう。高校3年のころに数Ⅲが急にわからなくなった時のことを良く覚えています。(私の行っていた高校は理系・文系とほとんど分けなかった。)しかし、なぜか「生物」は好きで、当時一般にも流行り始めていたDNAのことを聞いて胸を躍らせていた。

シロートにわかりやすく書いてあるポピュラーサイエンスの読み物の中でも、生物系・ヒトについてやさしく書いてあるの本を時々手にする。三木成夫さん、日高敏隆さん・竹内久美子さん、福岡伸一さん、多田富雄さん、中井久夫さん、池谷裕二さんなどなど。

共通することは、自分がこれこそは「我が一大事」だと思っていることが、そうでもなく、生物の記憶に組み入れられているだけなこと。へえ?、なんだ、そうだったのか、と痛快な気分になったりする。

カンディンスキーの絵が好きで、スクリアビンの音楽が好きという池谷裕二さんの本を読む。(彼はとても若く、現役バリバリの研究者ということ。)たいへん刺激的だった。かれは「揺らぎ」のことを「ノイズ」とごく簡単に当たり前のように言ってしまう。

「構造さえしっかりしていれば、後は簡単なルールを繰り返せば、自然と生命現象が創発される。そして、この時、駆動力となるのが、ノイズ。原子や分子などが生み出すノイズは、いわば無料のエネルギー源だよね。しかも無尽蔵。これを有効なエネルギーに変えるものこそが、効率の良い回路構造だ。だからこそ構造が機能をうみだすことができる・・・・」(「単純な脳、複雑な「私」」朝日出版社)

ハイ・・・そうですか・・・なるほど・・・そうですね・・・・ウム・・・恐れ入りました・・・そうなんですね・・・・

痙攣するものに何かが触れるとノイズが出る。空気に触れるだけでも音が聞こえる。エネルギーが溜まり加速度がつくと、もう手に負えない。剥がれ、飛び出し、傷つけ、死ぬまで止まらない。

ヒトの身体はノイジーなものだ。けものを喰らい、魚を喰らい、植物を喰らい、性交を繰り返し、戦争・殺人を繰り返す。その身体のノイズの呼び水として、ノイズで誘う。誘う側も全身を担保にしていなければならない。共鳴し共感してうなりを生じ、異種のノイズに変容する。新たな命。

振動、痙攣も大きな円の振動の一部と見ることができるだろうか。接点で最短距離を跳ぶ。それがGOサインだ。

能の名作「隅田川」我が子をさらわれた母親が狂う。そのさまを、みなが興味津々で見守る。狂うことが本当の望みであるかのように。

振動・痙攣が生まれた端緒は、ほんの少しの乱れ。そこに生命が宿り、美が生まれる。

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