酷暑の東京に戻りました。今後もダンスの仕事が多いので、少し、ダンスと音について、ボーッとした頭で考えてみます。
チャーリー・パーカーがジャズからそれまでのダンスを奪い、アストル・ピアソラがタンゴからそれまでのダンスを奪ったという言い方がある。リズムとハーモニーが複雑になると、おおらかに・ほがらかに・フツーに踊っていられない。
世の中が複雑になると、それに対応するリズムとハーモニーが必要になる。あるいは、複雑なリズムとハーモニーが露払いをするようにして複雑な世の中が訪れる。
知的な人々は、単純なビートをもった音楽やダンスを冷ややかな目で見、それに合わせて身体を動かすことは恥ずかしいこととされた。モンキーダンス、腰振りダンスなどという蔑視した言い方があった。
単純な繰り返しは発展が無くつまらない、という考え方もあろう。逆に、身体を揺らせて(スウィングさせて)いるうちに、知的な部分がすっ飛んで行ってしまうのではないかという危惧があるのかもしれない。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。
ドイツでサヴィナ・ヤナトゥーの野外コンサートに行ったとき、四角に設定された客席に行儀良く座っているドイツ人達は、身じろぎもせず、表情も変えずにサヴィナ達のダンサブルな地中海リズムを聴いていた。(上の写真)。面白くないのではない。演奏後の拍手はダンサブルなものほど強く長く続いていた。ちゃんと聴いていたし、感じていた。身体で、表情で、表す術を持たないだけだ。
スイスモントルージャズフェスでのエリス・レジーナの映像。私のフェイバリッとの一つ。死を前にしたディーバの熱唱。化粧も汗で流れ落ち、何かに憑かれたように踊り、歌う。内臓で歌う。少し写る聴衆は一見しらけているようにしか見えない。ボーッとしている。が、あの圧倒的なパフォーマンスに動かされない音楽ファンはいないだろう。(すくなくともスイスまで観に行っている人たちだし)。やっている方は辛いかもしれないが、彼らには伝わっている。反応ができないだけだ。
かつての日本と韓国の聴衆の違いも似ているところがある。韓国の演劇では最後に聴衆も舞台に登っていって歌え踊れの大団円になるのを何回か見た。金石出さんたちの東京の演奏で、身体で反応したのは唯一子供だった。今、日本の聴衆はずいぶん変わったようだが。
ヨアヒム・ベーレント、クラウス・シュライナー、マンフレット・アイヒャー。1960年代から世界の音楽を聴いて、感じて、世の中に問い続けてきたアクティブな評論家であり、プロデューサー。みんなドイツ人だ。べーレントはジャズの歴史に関しての「教科書」を書き、油井正一の訳で日本で一番多く読まれたジャズ本だろう。
かれは「世界は音」という本を書き、今で言うワールドミュージックの先駆的なプロデュースをしていた。ジャズがフリーになっていき、ジャズの諸規則から自由になっていく方向は、それぞれプレーヤーの民族性が出現する方向になる、ということを予言していた。
「ワールド・ミュージック・ミーティング」という録音を聴くと、ファン・ホセ・モサリーニのバンドネオンに、トリルク・グルトゥーのタブラ、山本邦山の尺八、ペーター・コバルトのベースなどが共演している。モサリーニの日本人初の共演者は山本邦山!日本音楽界が今ようやくこういうことをしているように見える。
クラウス・シュライナーのブラジル音楽の紹介本は、長い間、日本で読める最高の入門書だった。シュライナーはメルセデス・ソーサの紹介にもつとめ、レコードを出した。私が聴いてきたラテン音楽は、ずいぶんとドイツ経由だったわけだ。
マンフレット・アイヒャーはECMレーベルの社主として、1000枚の録音をして、今なお最も注目されるプロデューサーのひとりだ。1000枚の総合カタログを日本人がつい最近に河出書房新社から出版した。その本にも関わった原宿の月光茶房には、全種類揃っているとのこと。インプロ、ジャズ、現代音楽、古楽、民族音楽、ポピュラー音楽、クラシック音楽を自分の審美眼を貫いてプロデュースして、それが評価されている。