慌ただしい、ああ、慌ただしい。
10日間で、ジェーン・リグラー帰国、高橋利通・メルセデス・プジョール帰国、アンニャ・ナエル帰国、ザイ・クーニン来日、ジャン・サスポータス帰国、そして私の離日。
韓国人ミュージシャン美妍(piano)と朴在千(percussions)とのセッション。自分の仕事ばかりしていてはイカン、ということで引き受けた。プロデュースの主旨が曖昧でなかなかピンポイントでの合奏にはならなかったが、チルチェ(7体)というリズム(チャンダン)を忍ばせた時、彼らはすぐさま反応した。日本人ミュージシャンがこのリズムをだした(しかもチンで)のには驚いたようで、「韓国のミュージシャンは、ほとんどこのリズムを知らないです」と。
彼ら(夫婦のデュオ)は韓国伝統音楽を使って即興演奏をして、現代を表したいと言う。チルチェは3+2=5の5を中心とした5,5,6,5,5,10という複雑なリズムだ。全体で36拍子になる。この36は「36計逃げるにしかず」という兵法に基づくと言う説がある。儒教ばかりでなく、韓国と中国との関係は深い。同じ大陸を分かち合っているのだし。
翌日は横浜『九つ井』での会。小林裕児さんの最大のコレクターである蕎麦の名店が新たに依頼した大きな絵のお披露目。ただ一つ「山羊が蕎麦を食べているところ」が入っていたらうれしい、ということだったそうだ。なかなか注文制作はムズカシイらしく完成が遅れたそうだが、ビッタリ収まっている。
お披露目に、お気に入りの女優・内田慈さんをフィーチャーして何かやって欲しいという依頼だった。このごろ共演するのが楽しみな喜多直毅さんに手伝ってもらって演奏。マットにも、おみやげにも小林さんのイラストが印刷されていたり、もてなしの気持ちがすみずみまで行き渡っている。オトナが思いっきり遊ぶ、これこそ「文化」。コドモは家で留守番していなさい。
歳を重ねてくると、お約束のように「肉より魚」、日本酒や和食が身に染みるようになる。もずくや納豆を愛でたりして。音楽ではどうか、というと演歌や歌謡曲が一つのトピックになってくる。私自身は、子どもの頃に親しんだことがなく、その後も縁もなく、ここまで来てしまった。
小泉文夫さんの著作で彼が演歌に惹かれていく様子には、親近感があるし、「骨のずいにぐっとくる」音楽を求める時に、避けては通れないかも、という予感はあった。それはちょっと飛躍すると「天皇制」と自分の関係と同類だろう。
オンバク・ヒタムシリーズの諸作を作曲しているときに思い切ってペンタトニックを使った。自信を持って自分で演奏できるペンタトニックが可能なのかを試したかった。少しは達成できた気がしている。それは私にとって大きな変わり目だったかもしれない。
トニー・ガトリフの映画の中でフラメンコ歌手が日本語で「ラブユー東京」を歌っていて、とても良かった。世界各国のめずらしい音楽などを聴きあさったりしているのに、こんなところにこういう歌があるということを客観的になっていないというのは、いかにも片手オチだ。タルコフスキーの映画の中での海童道のすごさ、カネフスキーの映画の中での炭坑節やよさこい節、なんとなくそんな経験が重なっていた。美空ひばりの「ククルククパロマ」やエノケンの諸作の対照として見なくてはという思い。
岩下徹さんの『超マジメな』即興の時にラブユー東京を弾いたり、黒沢美香さんとの即興の時に炭坑節を弾いたりした。その時の自分の反応、相手の反応、聴衆の反応を見たかった。
内田慈さんは自分が役者である動機・理由を、「お客様を楽しませる」ことと言い切る。その覚悟はすがすがしい。本当に真剣に自分の職業と向き合っている。常にその原点に立ち戻ることができる。小林さんが推薦するわけだ。彼女に勇気をいただいて直球で演歌やムード歌謡を作った。リハーサルで曲を渡すと、次のリハーサルには完全に覚えてくる。「役に立つ音楽」を作る、それは演劇の音楽を作っていた時に味わった感覚だ。
多くの方々に喜んでいただき、関係者で会食、図らずも全女性がビール、全男性がウーロン茶。こういう時に小林さんから刺激的な話を聞けることが多い。迫力と奥行きのこと、そして、ジェーン・エレン・ハリスン著の「古代の芸術と祭祀」。芸術の始まりは何?という大きな大きな話題だった。それが、先日ロジャー・パルバースさんから聞いたカントールのインタビューと重なっていた。
仕事を続けながら、知りたいことがどんどんと増えていく。長くできればいい、と思うのはこういう時だ。忙しさにかまけて忘れないようにせねば。皮肉なことに、忙しいときに限っていくつもの「発見」が見え隠れしているよう。