千秋楽終了

「ミモザの舟に乗って」終了。みなさまに感謝しかありません。足を向けては眠れない人ばかりで、ついには足を上に向けて眠らなければならない、という感じ。

当日のご挨拶文は、↓でした。

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本日はご来場、誠にありがとうございます。

今回の「徹の部屋」は初めて2日間公演になりました。ご覧のような大きな絵、これだけの出演者を考えると自然にそうなってしまいました。「テツさん、この規模の公演は、本来なら、大きなホールで、3ヶ月のリハーサルが必要ですよ。」とジャンさんに諭されてしまいました。「そ・・そこのところを何とか・・・ひ・・ひとつ・・・どうか・・・お・・お・・お願いします。」ということで成り立っています。

小林裕児さんのこの絵画「朱い場所」を題材にした作曲を依頼され、2008年秋、絵が飾られたギャラリー椿で、1回だけ演奏をしました(ヴィオラ・箏・コントラバスという編成)。しばらくすると、そのCDを聴いた乾千恵さんからパリの友人の死をテーマにした詩が送られてきました。この絵の中のミモザを積んだ青いボートに触発され言葉が溢れて詩になったそうです。

千恵さんの輪がどんどん拡がっていくという意味で命名し、2008年春、ツアーを大成功させた千恵の輪トリオ(バンドネオン・ダンス・コントラバス)の一角ジャン・サスポータスさんが来日しているこの春に、絵と詩とダンスと音楽で舞台を創れないものか?ジャンさんと小林裕児さんは、ライブペインティングで、何回も共演していますし、完成前のこの絵も観ています。また、空中散歩館での千恵の輪トリオ最終公演アンコールでのジャンさんと千恵さんのデュオダンス「忘却」は真に感動的でした。

実は、作曲の時点でジャンさんのダンスも秘かに想定していました。初演の時に演奏されなかった幾つかの音達も出番を待っていました。ピアノの黒田京子さんは、私が千恵さんと初めて会った時に演奏していたメンバーです。さらに、朗読の米澤美和子さん、笠松環さんは、千恵さんの書を題材にした「月・人・石」という演劇公演の出演者です。

さらにさらに、千恵さん一家は、制作の斎藤朋さんの父上をよくご存じで、山形「斎藤農園」の産物を送ってもらっている事実が発覚、もう一つ言えば、ここポレポレ坐のオーナー本橋成一さんは千恵さん一家とは長年の大の仲良し。

状況は揃っています、いや、揃いすぎています。千恵の輪が凝縮して実った果実のようです。「今」を逃すわけにはいきますまい。

クールに仕事をこなす、というのと真逆のジャンさん。精一杯の自分を担保に理想を熱く語り、体当たりの熱いリハーサルは毎回、驚きと悦びと気づきに満ちていました。全員でジャンさん体操をやってからのリハーサルは順調に、和やかに、真剣に続きました。

死を扱った題材は、たしかに重いです。しかし、すべての生は死によって一瞬一瞬、支えられているわけですので、「心からの追悼」は、「溢れる生の賛歌」になり得るはずです。そして、いつもそれを教えてくれるのが千恵さんです。来月、千恵さんはパリにお墓参りに行くそうです。この詩を書いて、やっとその決心がついたとのこと。私もちょうどフランスツアー中ですので、会えないものかなあと思っています。

「この仕事のために活動を続けてきました。」長年使いたかったこの言葉、今回は胸を張って言えます。

最後になりましたが、千恵さん一家、小林裕児さん、すべての出演者、斎藤朋さん、ポレポレ坐スタッフ、ピアノ調律の辻秀夫さん、膨大なチラシ撒きをしてくれた玉木さん・長野さん、季節外れのミモザを今回のためにそっと取り置きしてくれていた六号通り商店街の花の店「英(HANABUSA)」さん、そしてお越しいただいたみなさまに心から感謝申し上げます。

齋藤徹

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ちょっとした赤ちゃんサミットでもありました。有風さん・ナエル君・パロマさん・椰葉汰君

いつか、どこかで、この子供達が再会して、この日のことを話し合ったりしたら、と想像しました。

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