Barre Phillipsさんにはどれほどお世話になったかわからない。何と言っても現在使っている楽器は、彼から譲り受けたわけだし。音楽の道でやっていけるのかどうかの時に出会って勇気をもらったり、ヨーロッパへの道をつけてくれた。誕生日が一緒ということだけではここまではならないはず。
人間関係、仕事の仕方についても多く学んだ。いつしか、「バールさんだったら、こんな時どうするかな?」と考えるようになった。指標になっているのだ。
自分が関わった人たちが、繋がって行くのを陰ながら積極的に(これは矛盾ではない)応援する。去る者は追わず来る物は拒まず。ポジティブな行動には協力を惜しまない。若者には協力する。
岩下徹さんとちょっと出演した映画「東京人間喜劇」の整音技師だった新垣一平(しんがきいっぺい)さんから連絡があり、自主映画を撮ったので音を付けてくれないか、ということ。若い人のそういう依頼にはなるべく応えたい。バールさんの教えだ。
そうしたら、何と、バールさんも遠くで関係していたのだった。監督は大学時代、昨年惜しくも亡くなってしまった大里俊晴さんの講義を受けていた。そして、私とのツアーで日本に滞在していたバール・フィリップスさんのインタビューを大里さんがしたときに同席していたというのだ。
世界中行く先々で、何かというと、大メディアからミニコミ誌までのインタビューを受け、同じような質問・答えには辟易しているはずのバールさんも私と大里さんの関係を聞き、忙しいスケジュールの中インタビューを受けてくれた。新宿三丁目のルノアール。いまでも席順まで覚えている。帰りに美味い蕎麦屋に行ったっけ。
新垣さんの「燈」という映像に音をつけた。「いずるば」の大好きな環境の中で、私のアイディアと彼のアイディアに基づいて、画面を観ながら、いろいろなテークを録った。これから彼が、アーでもない、コーでもないと編集で悩むことだろう。大いに悩んで、その悩みを存分に楽しめば良い。
自分の意志で映画を撮ろうと言う若い人たち(ポレポレでも今「祝島」の映画の編集中だ)は、とても清々しく、良い奴ばかりだ。どうしても音楽の若者と比べてしまう。そして、いつしか自分がold ageになっているのを気づくばかりだ。私ももっともっとがんばらねば。