忙中閑ありではないのですが、コンピューターの前を離れたくて、いろいろな試みをしています。
嬉しくも、きびしい音に会えました。Gerardo Gandiniさんと言えば、ピアソラ最後のセステートのメンバーで、本物のマエストロで、作曲家・ピアニストとしてぬきんでた存在。セステート最後の演奏の時「別れ」の曲をアドリブに混入させ、それが理解できなかったピアソラを怒らせたというエピソード、オランダでのプグリエーセ楽団との合同演奏でのジュンバ〜アディオス・ノニーノのメドレーの橋渡しのソロ。このソロに眼をキョロキョロさせていたプグリエーセ御大。タンゴの現在・過去・未来が見えた気がした瞬間でした。
postango (tangoの次という意味でしょう)というタイトルでの2枚のソロピアノで魅せたタンゴの可能性、あるいはタンゴなんて関係ないという可能性、映画音楽でも優れた仕事をし、Neli Saportini(女性歌手)とはタンゴをくったくなく遊んでみせ、所謂、現代音楽の発表も事欠かない。ジャズもやっちゃうよ。なんだなんだ、これは、とビックリ仰天して、ピアソラのグループに入りたいよ、と思ったきっかけでもありました。前任のパブロ・シーグレルの時でさえ、FMで聴いたモントルーライブでは、ピアソラキンテートが和音もリズムもメロディも無いインプロに入り込んでいました。ガンディーニはもちろんそのもっと先を見通していました。
その彼が作品(自作)とインプロの中間のようなソロピアノライブのCDを出していたのです。「cuando lo imprevisto se torna necesario」というCDタイトルからして意味深の気配がします。(誰か教えて!)よく聴くと楽譜をめくる音がするトラックもあります。即興と作品の差がないところまで個人的に試しているのではないかと思います。
前にちょっと書いたように自宅で少し良い音で聴くことができるようになって、じっくり音量を上げて聴いていると、普通のピアノ奏法ではなく、ピアノを倍音楽器としてペダルを駆使しながら弾いている演奏ばかりなのです。微妙な指とペダルのバランス、前の音を残して次の音にかぶせる、残す音と消す音を自在に選んでいくようなテクニックが目まぐるしい。もっともピアノっぽくないけれど、もっともピアノ的とも言えるのです。ある種、別の楽器だなこれは、弦楽器の要素も強いし。
先ほどは、黒沢美香さんのソロを観てきました。信じられない日常(体調)と、あまりに軽やかな舞台のギャップ、いささかもぶれない確かなテクニック、本当の意味のユーモアとはかくあるはずのモノでしょう。そんなことを感じさせてくれました。音楽が二次的な使用法だったので、私には残念でしたが・・・・
こういう厳しく、嬉しい音や姿に会えるのは生きる上で必要です。