贈り物

人に届けるために音を出している。相手は「今の私」かもしれないし、「未来の誰か」かもしれないし、「過去のあなた」かもしれない。知らない人にも届いて欲しい。対象は人だけではない。物に、自然に、動物に、植物に、届けたい。

>amazonは注文した日に届くのに、長年の思いを届けることはだんだん難しくなってきている。有料チャンネル以外はタダだからテレビは普及した。そこが危ない。危ないはずだよ、タダだから。意識の操作には、うってつけの装置として確立している。

このところ、続けて映画を観た。それも、観ようと楽しみにしていたものではなく、たまたま。ポレポレ坐で打ち合わせや、用事があって、時間がフッとできたので下の映画館へ行った。「怒る西行」(沖島勲監督)、「星の国から孫ふたり」(槙坪多鶴子監督)。

両方とも面白かった。決して多くの観客がいるわけではないが、監督や関係者のトークもあり、作り手の気持ちが伝わる。

普段は、あふれるイヴェント、コンサート、映画、美術、写真、博物展、演劇、その中から時間とお金を計算して、厳選して行くので精一杯。(それでも義理を欠くことが多い。)

こうしてたまたま観る機会というのがとても大事。思えばライブ活動と一緒だ。たまたま会場に来てくれる人が増えるような工夫はないものか。それこそがパブリック・サーヴィスの仕事なのだろうが、この国の現状では期待薄。

ネットで厳選して本やCDを注文する。しかし、古本屋街にでかけると、欲しかった本以外の本にも会えるし、いろいろな人を見ることができる、ふと通りがかりのギャラリーで発見する。ナイスなコーヒー屋、食堂も運が良ければ見つかる。考えてみればこれが「社会」というもの。

贈り物は社会の中で行き交う。

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