風是だといってライブを休むわけには行きません。動ける限り行きます。「演奏して治す」ということを念じつつ久しぶりのアケタの店へ。サムルノリの李光寿さんとソウルでレコーディングしたとき、こう言われました。「身体がドンドンよくなってくるような演奏でなければダメです。雪が山の上から転がってだんだん大きくなるようにグルーブが大きくなってそれに任せて行くのです。すると自然に身体は治っていきます。」クラシックやジャズの演奏家たちが、無理な演奏や稽古、ストレスで身体をダメにしていく傾向と真逆ですな。
もう30年近くアケタにはお世話になっています。家族もここが大好きで全員参加。なにしろマイキーはお腹の中に居るときから来ています。赤ん坊の時も毎回来て、聴衆ゼロでもたじろがず、驚かない強い精神の子供になりました。えっ、何?「きたない」なんて口が裂けても言えません。そこも良いのです。その頃、島田さんの撮ってくれたアケタでの写真です。このパン屋のパンが好きでしたね。それに釣られて来ていたという話もあります・・・・
初めて演奏したのは何の時だったかもはや定かではありませんが、高柳昌行さんと毎週土曜の午後ブッキングしていたこともあるし、初めてピアソラをやったのも、箏を何台も持ち込んだのも、大成さんの映像でやったことも、そうそう最初の録音「TOKIO TANGO」のお披露目も、2枚目「Coloring Heaven」のお披露目も(この時はバール・フィリップスさんも演奏)ここでした。
今回は、若い世代の喜多直毅さんが、私と、さらに年長の翠川敬基さんを呼んでのセッション。時代は変わっていきます。私が翠川さんと演奏するのも会うのもおそらく20年ぶり。かつて低二弦(ていじげん)というデュオをやったり、一緒にブエノス・アイレスに行ったりしていました。170センチを越えるマイキーに会って驚いたのなんのって。いやいや、それ以前は、憧れのスターでした。最初にご尊顔を拝したのは、今はドンキホーテのあるあたりの渋谷プルチネルラというスペースで、あろうことか楽器を置いて縄跳びをしていました。ホント。
やはり憧れだった富樫雅彦さんとの演奏も何回か観に行きました。その後、私自身が富樫さん、高柳さんのグループで演奏するようになるとは、いやプロの演奏家になることさえ、まさか思っても居ませんでしたね。そんな意味もあって、この日は、若い喜多直毅さんが二人を呼んでの演奏ということで頭の中で、時代・世代の意識が行ったり来たりです。この最高に扱いにくい、うるさ型のおじさん二人を呼ぶことができる人はなかなかいませんぜ。
即興に対する意識の違いは、事前から予想できていたので、私はそこを確認しながら演奏は進めました。改めて自分の位置を確認できたという感じです。即興というトピックが世代を超えて考えられ続け、試行錯誤され続けているのは、即興の重要さを演奏者も聴衆もどこかで感じているからでしょう。