ネットの恩恵か、ハリマオものの古書を5冊ほとんど定価1円(郵送料340円)であっさり手に入った。(F機関の長、藤原定市の本は少し高値。)数珠のようにどんどん繋がっていくある種の雰囲気。
F機関にはインド工作、マレー工作があり、新宿中村屋のカレーのベハリ・ボース、チャンドラ・ボース、陸軍中野学校、満州、甘粕大尉・・・30年以上前学生の頃よく目にしていた名前。
甘粕大尉・大杉栄・大川周明・北一輝・石原完爾・満州映画・竹中労・後藤新平・鶴見和子・見田宗介(真木悠介)・ハリマオ・近代の超克・竹内好・松本健一・大東亜共栄圏・あしたのジョー・梶原一騎・タイガーマスク・台湾・大山倍達・力道山、あっ、韓国の虎と繋がった。
私の祖父は長崎出身。東京よりは上海の方が近い。外務省管轄の上海東亜同文書院に入学した。母は漢口でうまれ、青島で育った。私の小さい頃、よくアジアの人たちが来ていた。決して戻ってこないお金を貸したりしていたそうだ。戦後もベトナムやパキスタンと関係を持っていた。初めて弾いたピアノはフランス製だが、「SAIGON」と刻印されていた。大きなパーコレーターでいれた苦いコーヒーをありがたがって飲んだ。祖父にもっともっと話を聞いておけば良かった。
この大学は、確かに中国工作のための諜報員を育成する目的があっただろう。祖父に聞いた話だと、当時は右翼・左翼の分別も曖昧、「大陸浪人」のような人も大勢いた。確かに軍に入った卒業生もいたが、逆に中国赤軍に入ったものもいたそうだ。
ハリマオこと谷豊も、マレーをイギリス帝国主義から解放するという主旨に賛同し、F機関に入ったという。日本語よりもマレー語のほうが自由だった彼は、日本に来た小学生時、いじめられたり、兵役検査では、丙種合格すなわち不合格。日本に対して複雑な気持ちだったようだ。ごく普通のマレー人達と心から通じた。妹を中国人に惨殺されている。マラリアで死ぬとき、ムスリムとして埋葬して欲しいと言った。
F機関が、さまざまな活動をして、日本軍は、地元で本当の影響力を持つサルタン(王)を懐柔し味方に付け、こう宣言させる「イギリスに対抗するため日本軍に協力せよ」。このために、たとえばザイの父親も日本に対して敵意が少ないのか。
欧米列強からアジアを解放して大東亜共栄圏をつくる、という側面。「近代の超克」の考え方は、いまだあちこちで顔を出す。戦争好きの人たちの大きな思想的な柱でもある。政治家にもメディアにも多くいるので、危険。しっかりと客観的にそして徹底的に検証すべきなのに曖昧のまま。白川静さんのいう漢字文化圏、そして私の「オンバク・ヒタム」も、ここに絡め取られないように要注意。
http://www.youtube.com/watch?v=qWHv_yZO5OU
を見れば、一目瞭然。イギリス人にいじめられているマレー人を助けるという役割でハリマオを想定している。これが終戦後15年、1960年の放映。
ザイにハリマオの話をしたら、大変興味を持ったようだ。ほとんど知られていないという。英語の本はないようなので、誤解無きよう、情報を吟味してしっかりと伝えよう。
小林さんのパフォーマンス「虎」から思わぬ方向へどんどん繋がっていく。