いろいろな悪条件の中、フッと決まる仕事がある。なぜこんな企画が立ち上がったのかさえよく分からないことも。
あべひげさん主催の仙台公演はまさにそんな感じだった。小林裕児さんのライブペインティングでの東北ツアーを終え、北海道に車で入り、吉田一穂のことを調べた後、工藤丈輝と合流。モケラモケラ主催のデュオツアーをした。
そのまま東京に帰ってきてもよさそうなのに、仙台でフェリーを下り、1日だけ仙台公演が決まった。故郷が仙台の丈輝が、「面白い人」がデュオ公演をやってくれる、是非会わせたい、というので楽しみにしていた。昨年12月の北ピットでのデュオにも何人も仙台から来ていた。丈輝の拠点になっているのだろうと嬉しかった。
あべひげさんは、今年初めから入退院を繰り返していた。8月は、前々から決まっていた大がかりな演劇企画があったのだが、丈輝からの連絡を受けたあべひげ氏は、スタッフの心配と議論の中、「やるんだ!」とデュオを強引に決めた、ということ。昨日葬儀日程をしらせるスタッフの電話で聞いた。
デュオの今と今後を見極めようとした1時間の公演もあっという間に終了。「あべひげ」での楽しい楽しい楽しい打ち上げ。少し仮眠をとって、お盆Uターンラッシュを避けるべく早朝に車を出すことにしていた。しかし、よっぽど楽しかったのだろう、丈輝は約束の時間にホテルには戻らず。こちらも何時までも待てないので、丈輝の舞台衣装の洗濯物を店のドアにでも置いておこうと持って行った。
するとあべひげさんが出てきて、預かってくれた。「工藤の世代にはあんまり踊れるヤツっていないんだよね。期待しているんだ。よろしく頼むよ」「そうそう、もうあの世代がシーンを作っていかねばならないし。でも実際会うと、いじめたくなっちゃうんですけどね・・・じゃあまたどこかで。」と笑いあったのが最後。
長いつき合いの始まりのはずが終わりになってしまった。
ちょうど昨日、大成瓢吉さんのお墓の写真が届いた。↑。瓢さんも日本酒好きだったので、ふたりで銘柄のことを言いながら初対面を祝っているかもしれないな。
思えば丈輝とはそう言うことが多い。昨年末には、互いの大事な友人だった水谷隆子さんの追悼会で、闘病の李七女さんを励ます会で、参加叶わなかった李さんの病院で。
ワルシャワのアバカノヴィッチさんとのコラボレーションでも戦死者が大きな主題だった。
さらに思えば、私に限ってもそう言うことが多い。岸田理生さんの最後の演劇でも(そして最後の病室でも)、五井輝さんの最後のダンスでも、元藤燁子さんの最後のダンスでも(三日前)共演をしたし、高田和子さん・太田省吾さんとの最後の約束も・・・・
それこそが、音楽やダンス(美術も文学も)の存在理由なのだろう。誰かに何かを少しでも嘘でも託すまでやり続けるしかない。