北海道の瀬尾高志がリハーサルにやってきた。何でも吸収しようとする姿勢にはいつも感心する。dzumiで初めてやったものなど、ソロベースでできること、新たに発見したことをいろいろ弾いてみせる。土曜日の悠玄でのライブのリハーサルだが、多分やらない曲ばかりをやり、宿題を与えるという感じが強い。「絶対できない」と思ったものが、なんとかできるようになることは大いなる発見で、喜びでもある。そう言うところに自己実現への扉が開いているようだ。
ポレポレ坐「徹の部屋」vol.5の打ち合わせ。メキシコ以来、野村喜和夫さんに会う。場所見も兼ねてポレポレ坐で夕方落ち合う。なんでも2日前まで準主演の映画に出ていたそうで手にも傷がある、最後は人を殺めた、そうだ。ギャー。その映画関係のスタッフもいたので、ポレポレタイムスで現在制作中の、原発反対の祝島の話でも盛り上がる。ポレポレでの担当のきさらさんはその晩の深夜バスで祝島へ向かう。
で、何をしよう?ということになり、私は詩人の即興的なコトバというものを聞きたい、とダメもとで所望。案外、あっさり了承していただく。初めて共演したときの私の準備の話をする。ちょうど「風の配分」(水声社)が高見順賞をとったころ。純然たる詩集よりもこの本の方が私には近く感じた。単語を抜き出してはグループ分けして遊んでいる内に少し近づけたと告白。ちょうど神奈川フィル用の作曲をしていて長野の山へこもっていた頃だ。
「あの本は、詩なのですか?」「いや、詩になる前の段階です」「委嘱されて書いたものですか?」「いや、そう言うものを書きたくて書いたのです。」なるほど、それは嬉しい情報。
私も「音楽になる前の段階を即興という方法でやりたい」わけなので、このあたりできっとライブなものが何かができるのでは、ということで合意。具体的なことは連絡し合う、ということで落ち着く。ラ・マンチャのワインを2本開けて、お開き。
翌日、冷たい雨の中、大里俊晴さんの通夜。初めてあったのが、六本木のライブで私はソロをしていた。「実は、私が勤めている横浜国立大で話をしてくれないか」ということ。初めて履歴書を買って出した。こういうことが大学で行われるようになったのか、と思った。彼の研究室で待っているあいだ、宝のような本の山。読みたいものばかりで眼がくらんだ。(この時はたしか講師だったが、あっという間に教授になっていた。)
ミッシェル・ドネダを初め招聘したときだったか、ジャン・フランソワ・ポーヴロスとデュオをするので、ミッシェルにゲストで出てもらえないか、という連絡。彼がミュージシャンであることを初めて知った。ジャン・フランソワはミッシェルにとっても大事な友人だったのでサプライズゲストでOK。かつて「がせねたの荒野」という伝説的なパンクバンドをやっていたそうだ。
バール・フィリップスさんとツアーをしていたとき、インタビューしたい、という連絡、新宿のカフェでひとしきりインタビュー、蕎麦屋で会食。とか、フランスの音楽についての対談を「ジャズ批評」用にやってラーメン屋で打ち上げ。とか、大里さんが、やっていたCS放送のゲストで長時間、私の音源を流し、一緒におしゃべりして、カレーをいただいたり、等々の想い出がある。
そういう想い出よりも、私にとっては、今後必ずもっと深く話をしたりつきあったりするであろうという予感をもっていたので、大変つらい、何とも言えない気持ちになった。通夜には境内に入りきれないほどの人々が無言で駆けつけていた。