solo_@_dzumi

昨年同様、ソロ。実は、私からずいぶん前にお願いしたものだ。ここでの秋のソロを1年のひとつの区切りにしてみようと思った。なにより泉さんの心意気が良い。若いとき影響された音楽や世の中に対する気持ちを絶やさずに燃やし続けている。恵比寿のNNで出会った熟年タンゴファン達の「やんちゃ」にも似ている。うるさいオヤジ万歳。あっ、オレもその一人か・・・・

泉さんをみていると、あれよあれよという間に世の中が変わっていき、それに乗って通り過ぎて行く同輩を、そして若者をみて、「そんなこたあ、ねえだろうよ」と言いたいことがたくさんありそうだ。世代論でくくりたくないが、団塊の世代と三無主義世代の中間(橋渡し)世代の私にはそう見える。

世の中が「sound cafe dzumi」のことを「ヨーロッパの前衛ジャズを専門にする」とレッテルを貼りたがって困る、とおっしゃる。そんな小さい見識ではありやせんぜ。映画を撮り、バブル時の大手広告代理店も体験し、世界を広く旅しているので、世の中や人間のアホらしさ・愛らしさというものがよくわかってらっしゃる。

何があってもワインやチーズ、コーヒーの質を下げることは無いでしょう。(それは人生の質を落とすことと同じ?)。目立たぬように、しかししっかり吟味されている。思いっきり遊ぶ、でも「遊び」じゃない、「真剣」・・・・なんて言うと「しゃれにならない、やぼだよ」と怒られそう。

暮れなずむ井の頭公園を眼下に、満員の聴衆(年齢層が高いのが嬉しい)の前でソロ開始。

ユパンキの「ウアラ・熟れたトウモロコシのダンス」から開始、カルナバリートのリズムを強調、続いてメルセデス・ソーサを思いつつ「アルフォンシーナと海」「グラシアス・ア・ラ・ビダ」。アルゼンチンサンバ、ビオレータの小さなギターのリズムを意識。

パラグアイのグアラニ族系の歌「イパカライの想い出」とブラジルの「黒い乳母」を続ける。「黒い乳母」はファド「暗いはしけ」の元歌。ご来場の高場将美さん・峰万里恵さんと演奏したことのある名曲中の名曲です。

ペルー、チャブカ・グランダさんのオリジナル・代表曲2曲「粋な男」「ニッケの花」。

http://www.youtube.com/watch?v=5fiqKofWkHo&feature=player_embedded

をご覧ください。実に品があり、リズムが生きていますね。すんばらしい。

ブラジルものは「derradeira primavera~retrato em branco e preto~gente humilde~todo o sentimento」いやはや、どれもすばらしい歌。一つ一つ話をしたらきりがありません。

ここで予定ではピシンギーニャ1曲、「ヌアージ」「ジャンゴ」、そして「ラブユートーキョー」なども用意していたがあっという間に45分が経ち、省略。

cafe dzumiが今後、最低6年間は、続いて欲しいという願いを込めてバッハの無伴奏一番。毎年一番ずつやっていったら6年かかるという目論見。6番の時は、私は59歳。元気でいたらあっという間でしょう。(昨日、私より若い知人の訃報を受けました。悲しいです。)

満員のお客様の熱気が45分間で、cafe dzumiを覆い尽くし、空調を切った店内は急に、本当に急に、湿気が充満。本当は、ここで休憩を入れて、外気を入れてからバッハに行きたかったのですが、皆様ギュウギュウに座っていらっしゃるので、ままよ、このまま突入。

やっぱり、生ガット弦は、なかなか手強く、この湿気を満身で受けてしまい、弦は緩むは、松脂がすべるは、焦るは、で納得のいくものではありませんでしたが、この歳になると、その状態を「楽しんでしまう」ことができました。喜んで良いのか、うんにゃ、いけないですね。反省します。

後半は即興演奏。cafe dzumiの空間とお客様と現在の私をしっかり受け入れる演奏をめざして45分続けてやりました。終わった後の印象としては、演奏を聴いてもらうというよりは、「儀式」のような感じでした。終演後、客席がじっとすわったまま2~3分経過しました。「演奏は、終わった後の無音の為にある」なんて書いたばっかりだったので、何かストンと落ちたような。良い空間と良い聴衆のおかげでしょう。「空間は、そのオーナーに似て、聴衆もそのオーナーに似る」法則でしょうか。

終演後、テーブルを寄せての和やかなお話が続く。終演後のおしゃべりでは、その日の演奏に触れないようにすることがよくあるけれど、今日は逆、みんなが感想をドンドン言ってくれるので、とてもありがたかったです。

じゃあ、来年!

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