レッスン

いつでもゼロでいることが、どれだけ難しいか。技術に頼り、実績に頼り、名前に頼り、お金に頼り、ものごとをスムーズに進めようとする暗黙の了解がはびこっている。そこにNOを差し挟むことは、めんどうなこと、嫌がられることに違いない。問題無く、たとえあったとしても、自分の責任にならず、予定通り終わり、楽しく別れ、家に帰ることが、この複雑な現代社会を生き抜くのに大切。重たいこと、めんどうなことはなるべく避けよう。楽しく行こうよ。

しかし、こと音楽・舞踊・美術などなど、表現に関わる人間がそれではいけない。そういう流れに対して、時間を止めて、「ちょっと待ってよ」「止まってみたら」「よく聴いて」「よく観て」「もう一回考えてみなよ」という「きっかけ」になるべきものが「表現」のはずだ。

そう思いながらも、自らの非力もあって、ぶれている自分を見つけることが多い。自分が保守化している証拠だ。そういう状況を気づかせてくれる人は本当に貴重だ。

田中泯さんはその一人。思えば、昨年の初共演の時に遡る。事前の連絡が上手く取れていず、舞台上に予想外に主張している美術のインスタレーションがあった。この時、「このままだったら、私は帰ります。」と、泯さんはすぐ言った。どう見ても本気だ。近づきがたい雰囲気にさえなっている。その若き美術家を呼んで、厳しく話し合っている。ようやく妥協点がみつかり、泯さんは帰らず踊った。その踊りがすばらしかった。そして、その美術家は生の本当に大事なレッスンを得たのではないだろうか。

ちょっと踊りにくくても、「私の技術と経験でなんとか踊り、今日終わってサーッと帰ればいいか」とは、決して思わない。この時、私は保守化している自分を発見し反省したものだ。

実は今回も似たようなことがありました。

箏群の後ろにコントラバストリオが立ち位置を決めていた。マイクの都合でその方が、音が混じらずに済むからだ。そのように立ち位置をきめて舞台リハーサルを進め、照明・音響ともだいたいができあがった時に、泯さんから「コントラバスと箏群の位置を昨日と同じにできないか」との提案があった。

前日のリハーサルでは、場所の都合から、箏群の前でコントラバストリオが演奏していた。照明・音響スタッフにお願いし、配置を変えてみる。箏一台に付き2本のマイク、箏は全部で6台、コントラバスには1台ずつ、そして舞台の音を拾うリボンマイクが3本、それぞれすべてのケーブルを引き直すわけだ。照明の角度をいちいち変更するという手間。

音響・照明ともプロ意識が高く、文句一つ言わずに泯さんの意向をくみ、やってくれた。ありがたいことだ。この時「音響も照明も朝早くから何人も来て、仕込んでいるのだから、気の毒だ、このまま何とかやってみよう」と考えない。すべて演技するその瞬間が上回る。

立ち位置を変えたため、箏奏者間のアイコンタクトが少し取りにくくなったため、「平台」を2枚、後ろの箏奏者に置いてみれば、という提案は「平台2枚おくのには40分かかります」という小屋側の意見。「徹さん、どうします?」と泯さん。そんなにかかるのか、と断念。これも実行すれば良かったのか・・・・、私への踏み絵だったのか・・・・後悔が残る。

立ち位置は、泯さんの提案が大正解だった。雑然としてダンスと楽器群が混じり合うことが必要だった。予定通りだと、中央の丸い空間があたかも「ここで踊ってください」と言うがごとく存在することになっていたわけだ。音の混じりはかえって有効。音の純粋性のためにやっているわけではない。

ワルシャワでの公演で、美術家アバカノビッチさんも最後まで注文を付け続けた。何のため?もちろん自分のためでもなく、お客様のためでもなく、もっと大きなもののため。それは何?

多くの演奏家、ダンサー、美術家は、その行為の素晴らしさに感動し、自らその世界に飛び込んだのだろう。その最初の動機をだんだんと忘れてしまう。「で、明日のスケジュールは何だったっけ?」でなく、その場で果てる覚悟で舞台に立たなければならない。そんなことを気づかせてくれる人は貴重だ。

では、泯さんはいったいどうやってそう言う気持ちをキープできているのだろうか?

文字通り大地に足を付けて、お日様を浴びて、農作業をしながら暮らしていることと無関係ではないだろう。

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