オンバク・ヒタム公演のアイディアはもう10年は経っている。しかし実現するに当たっては、まったく初めてのことだらけ、というのが現実。すべての人が「例外」であるように、すべての出来事は「例外」だ。
時間の関係もあり、やりたい曲を削っていく。若い頃は、これができなかった。創ったものをできるだけ詰め込みたかった。一つ一つに愛着があり、「これだけは絶対」とか「これをやるためにやってきた」なんて、つい思ってしまっていた。
画家の知り合いは口を揃えてこういう、「作品の飾り付けには、こつがあるのです。力作ばかりを並べないことです。」
ハイナー・ミュラーは、「ハムレットマシーン」を書いたときに、まず、膨大な原稿を書き、「大事なもの、重要なこと」から削除していったという。訳のわからないことばかりが残る。それが実に魅力的で、世界中の演出家を刺激し、数多くのまったく違う演劇が生まれた。
重要なこと、とは、本当に重要なのだろうか?言いたいことって、本当に言いたいの?その時の重要は、それ以外の時、重要であり続けるのか?かえってその時の刻印を必要以上に刻まれているだけのことかもしれない。確認・納得だけのためになぞる必要はない。
長く暖めていたアイディアというのは、つまらない結果に終わるという危険を伴う。あたためていたというその人の物語が色濃く染みついてしまった結果だ。あたためていた時間、本質は消費されている。
さて、オンバク・ヒタムのプログラム再考をする。「これは譲れないな」と思っていたものを削る。こんなに時間をかけて作り上げたのだし、これなら「受ける」ことまちがいなし、と言う曲を削る。なんと小気味よい。そうさ。「やりたい」なんて、付加価値にしかすぎない。その場の真実から遠ざかる言い訳、良いところを見せようという見栄、と言ったら言い過ぎか・・・・・
とても良い勉強です。こうやって少し大きな企画をやると学ぶことは多い。たとえ経済的に失敗しても、こういう成果は、こういう機会にしか得られないのかもしれない。
まあ、なんと前向きのテッちゃんですね。