コロンビアとジャンと

コロンビアで楽しい時を過ごした、と言ってもかの国の現実はきびしい。ごく普通のアパートでも入り口は2重の扉と2重の鍵があり、24時間体制・3交代でのドアマンがいる。出入りの度にドアマンに開けてもらわねばならない。だんだんと慣れて、親しくなったが、最初はいちいち開けてもらうのに戸惑った。麻薬を作っている土地では虐殺など日常という。ボゴタは南米第5の都市で、その交通渋滞はひどい。貨幣経済のために地方にいられなくなった人たちがボゴタに押し寄せる。そして地方も疲弊し、首都の大部分もその日暮らし。希望の持ちようがない人が増え続ける

お金と権力と戦争の大好きな北の巨大帝国の意向が毛細血管にまで入り込んで原因を作ってる。100年は保つと言われている石油を元に反米主義とシモン・ボリバル主義(南アメリカ統一)をうたうベネズエラのチャベス大統領。その石油のお得意先が北の帝国であることに象徴されるように、現実ではすべてが複雑で(原因は単純なのに)あきらめが先立ってしまう。サルサやメレンゲで踊って忘れるさ、という人たちには正当な理由がある。

ジョージ・ブッシュ空港という名前の空港を拠点とするコンチネンタル航空を使ったのだが、ヒューストン〜ボゴタの飛行機は難民輸送船のようだった。(アントニオ・カルロス・ジョビン空港とどれだけ違うか・・・)古い小さな飛行機、超満員、上の棚に荷物は収まりきらない、アテンダントは全員いらついていて笑顔など皆無。イヤホンは人数分無いのに謝りもしない。

超満員と書いたのはウソでない。普通、非常口のところは一列、非常時の脱出用に空いているものだ。ところが、申し訳程度に非常口脇の一席分だけ空けて、となりには2席作ってある!計4席分をゲット。これでは非常時の脱出は不可能だ!!そして最終列のシート(帰りがここだった)はリクライニングできない。(普通この列は緊急用に空けてあるはず。そうか、今が緊急か・・・・。シカゴ〜モントリオール乗り継ぎ便に乗り遅れた時、次の便のこの席に座ったことがある。今井さんと沢井さんと一緒だった。)そしてその席を割り当てられた乗客は私を含めて全員アジア系・南米系だったのは偶然か?

世の中ってそんなもの、そんなもの・・・それでいいのか?

ジャンさんは30年ピナのところにいるので、それこそいろいろな世界を見てきている。新聞一面にジャンさん特集。「現代ダンス界最大のフィギュアの一人」との紹介に口をゆがませる。メディアの功罪もいくらでも知っている。事実に反することでも書き続けると本当になってしまう。戦争の20世紀にいくつもあった事例だ。ディレッタントな金持ち達、「シキミキ」な(中身のない、見栄と飾りだけと言う意味)ダンス・ロビー達、そんな中で、彼は、ピナさんへの共感と日本への思いで30年やってきたのだろう。

9月4日にはブパタル市主催でピナさんの追悼集会があるという。気が進まないけれど一応出るつもりだとのこと。その後、ブパタルで「カフェ・ミュラー」公演がある。追悼公演と言うわけではなく、もともとのプログラムだった。その直後のブラジル公演「カフェ・ミュラー」「春の祭典」のためもあり、海外公演の前にはよくやっている方法だそうだ。ピナさん無しのカフェ・ミュラーをブパタルで公演すること、これはカンパニーメンバーにとって、そして30年300回やってきたジャンさんには相当きついだろう。(ピナさんは「カフェ・ミュラー」にだけ踊っていた。)

ピナさんの代役はもう決まっていて、いままでも体調不良の時にやっていた人だそうだ。いずれにせよ一人の大きなカリスマの突然の不在は今後多くの人の人生を変えていくだろう。

ジャンさんは、ブラジル公演ももちろん参加、その後、ヴィム・ヴェンダース監督の映画の撮影に入るという。アルモドバル監督の時(トーク・トゥ・ハー)と同様にダンサー・ジャン・サスポータス役ででるそう。本当は、台詞のある俳優の方をご本人はよほどやりたいようだ。私もそれが良いと思うのだが・・・・

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