ボゴタ2日目

時差ぼけなので更新できる、良いんだか悪いんだか・・・

ジャンが疲れながらも無事到着。主催者のアパート(私の居るところから歩いて20秒)に投宿する。簡単な歓迎会。なかなか英語のできる人がいないので、ゆっくり一人を楽しむ。支援者らしいネクタイをした50代エンジニアさんが、選曲したのがカエターノ・ヴェローゾの「プレンダ・ミーニャ」なのだからこの周辺の音楽環境がわかろうというもの。コロンビアはヴェネズエラ、パナマ、エクアドル、ブラジルと国境を接している。ヴェネズエラやブラジルとの国境は無いに等しいそうだ。家主キケさんの旅の写真を見せてもらったが、まるっきりアマゾンだった。

コロンビア音楽と言えば、クンビアしかしらなかった。それもミンガスの最後期のLPだった。キケさんのパートナー、ルイーザは山間部出身で、民族ダンス(フォークダンスというと誤解されそうだから・・)をやっていた。クンビアは奴隷の音楽で直接的にアフリカの影響が強く、基本的に打楽器だけでなりたっていたそうだ。そのビートは、足に繋がれていた鎖の音から来ているという。スペインの侵攻、アフリカ奴隷という大きなものをしょっている。

ジャンの居るところに白い犬がいる。彼女は旭川のアイドル「クー」にうり二つ。地球の反対側だからか、白いけれど・・・・。お年寄りで耳が遠く、少しよたって歩き、人のところにすり寄る。「クー」じゃないから「シー」と呼んでいる。

一番の不安の楽器を見に行く。交響楽団から借りたというので今回は特殊奏法なしか、と思っていたら、意外にワイルドな楽器。とくにカバーがいかしている。初台「騒」ガヤ時代の友人、町田薫さんの楽器と同じ東ドイツの楽器。松脂が表板全体にこびりつき、駒もかなりやばい状態。弦長が異常に長く、スクロール部も長いので、持ってきた弦がなかなか使えない、予想が甘かった。G線をトロの生ガットに、D線をオリーブに換え、A/Eは張ってあったスティール弦を使う。なんとかなるだろう。

その後、ピナ・バウシュの追悼イヴェントがあり、ジャンさん、ティノさん(今回のフェスの代表、地元のダンスカンパニー主宰)、ゲーテ・インスティトゥートの人、コロンビア人でかつてピナの裏方をしていた人の話、そしてめずらしいピナの映像を2本。何回も出てくる若きジャン、英語で振り付け・指示しているピナさん(多国籍カンパニーだから当然なのか)などが印象的。というか、ドイツ語・スペイン語なので映像の面白いところしか楽しめない。もう少し語学をやっておきたかった・・・・

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