東北

メルセデス・ソーサに「Sera Posible El Sur? (南は可能だろうか?)」というすばらしい録音がある。フェルナンド・ソラナス監督「SUR」でピアソラが作りゴジェネチェが歌った曲が「Vuelvo al Sur(南へ帰ろう)」。ソーサも歌っているし、後にカエターノ・ヴェローゾがボサノバにして歌った(しかも成功した)。南米の人たちにとって「南」は何かの象徴のようだ。

アルゼンチンにとってのスール(南)とは、北半球では北だ。日本で言うと東北・北海道だろうか。そう言えば小林旭に「北帰行」という唄があったっけ。「北は可能だろうか?」試される大地北海道。この数年、北海道にはよく行っているが、東北は、私にとって縁のある地域なわりに、訪れた回数はごくわずかしかない。

盛岡出身の喜多直毅さん(ヴァイオリン)と黒田京子さん(ピアノ)との二回目のセッションがあった。大泉学園「in F」。今回は喜多さんの選曲によるもの。秋には黒田さんの選曲によるセッションがあり、リーダーを一巡してからこれから先のことを考えることになっている。

盛岡を色濃く感じる喜多さんは、その日彼がさしていた黒い大きなこうもり傘のようだった。実直・口べたと多弁の共存・がんこ・深情け・恥ずかしがり、などで語られることの多い東北気質をしっかり持っているようでもある。宮沢賢治・石川啄木・太宰治・寺山修司・土方巽・棟方志功・・・皆、東北の風土なしにはあり得ないように感じる。

「東北」ってひとくくりにしないでくれよ、旧藩によっても、日本海側か太平洋側かでも全く違うんだ、と言うことは承知しているが、訪れた回数が少なすぎて何も語れない。

私にとって「遠い」東北だが、こうやって喜多さんとセッションをしたり、そして、明日から山形・盛岡へのツアーに出る。思い切り東北の空気を吸ってくるつもりだ。ポーランドツアーの時に読んだ「哲学の東北」(中沢新一)も面白かった記憶があるがすっかり忘れてしまった。明日までに探し出せるか?
 

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