ストーンアウト。箏四重奏団「koto vortex」(西陽子・竹澤悦子・丸田美紀・八木美知依)から、委嘱されて作った曲。(単に、金石出さんのお名前を訳しただけなのだが、スラングでは、麻薬できまった状態を表すらしく、外国で演奏するときは注意が必要だ。)
沢井一恵さんのお弟子さんには、不思議に世代の波があり、ある年代の人たちがまとまっている傾向がある。「どんぐり」という箏アンサンブルのなかで、背比べをして、飛び抜けたのが彼女たちだった。一恵師匠がジョン・ゾーン、ジョン・ケージに近づいていた時期なので、自分たちもなにかしたい、しなければ、という気持ちが働いたのかも知れない。人気のある作曲家や演奏家に委嘱する中で、なぜか私にも委嘱が来た。
グループとして全員、技術的に高水準に達していて、一恵さんの当時の勢いと同期して、かなり盛り上がっていて、まぶしく見えた。以前の箏奏者達ならば、現代音楽作曲家の「現代邦楽」を弾きこなすこと自体が目標だったのだが、それは何とかクリアできる。では、それ以上、あるいは、それ以外のことを目指そうとしているようだった。
作曲家というのは、作曲することで自分が実現されたり、納得していく人だろう。委嘱が無くても曲を作る、あるいは、曲が湧き上がってくる人のことだろう。演奏されなくても良いのかもしれない。私は違う。委嘱されないと作らないし、作ったものも演奏のためのチャート(海図)のようなものだ。
クリさんとの共同作業を通じて、「こんな作曲なら、即興の方が良い、こんな即興なら作曲の方が良い」という考え方に確信を得ていたので、曲を作るなら即興ではどうしてもできないことをやろうと思った。時期的には、韓国との蜜月時代が一息ついていて、一方、沢井家に相次いで不幸が起こっていた。箏での作曲ということで、この二つの事を曲にするしかないと思った。それまでの現代箏曲は参考にしなかった。できあがった後に「既存の曲に似た部分があったら、教えて、消すから」と言ったが無かったようだ。
金石出さんに教わったクッコリやオンモリ、散調の形式などを少し拝借する。実生活でのエピソードを幾つか曲にして繋げる。即興的な要素を奏者に任せっきりにしない方法を開拓する。ダイナミズムやビートの乗りを箏でどう表現できるか、などを課題に取り組んだ。
リハーサルは相当苦労したようだ。前にも書いたように、呼吸の仕方がまるで違う。しかし、彼女たちには決して弱音を吐かぬプライドもあるので、合宿状態でリハーサルをしてきたようだった。「この曲で私たちはバラバラになるかも」という不吉な言葉も聞いた。呼吸を変えることで「初めて汗をかいた」なんて言葉も。CDの冒頭の部分に、全員が息を合わせる部分を敢えて消さずに収録した。
時は経ち、世代が変わって「箏衛門」というアンサンブルができ、この曲をやりたいと申し出があった。ヴォルテックスがあんなに苦労したのだから、ちょっとムリかな?とも思ったが、リハーサルに行ってビックリ。ほとんど、仕上がっているのだ。初演と再演の違い、参考になる録音もある、というだけの理由かどうかいまだにわからない。こうやって伝わっていくのだな、ということは妙に実感した。そして「弾ける」とは何なのだ、と言う疑問と、ヴォルテックスと箏衛門のストーンアウトの差は何処にあるのか、という個人的関心が残った。
さらに時は経ち、韓国の打楽器奏者 金大換さんの追悼演奏会がFM東京ホールであった。私の韓国への橋渡しをしてくれた恩人に対して、思いっきり追悼したかったので、これしかないとこちらから頼んで「箏衛門」とストーンアウトをやった。この時の演奏はとても良く、私の心にしっかりと記憶された。(私の娘は、私のベストと言っている。)その後、金石出さんも、この時のPAの川崎さんも亡くなり、もうやる機会もないのかと思っていた。
そして、今回のポレポレ坐「徹の部屋vol.3」の箏アンサンブル・螺鈿隊は、「箏衛門」の中心メンバーからなるグループなのだ。箏アンサンブルの中で、先に繋がるものが見つかったことが私にとって何より嬉しい。ストーンアウトも、その後に作った曲も演奏する。「徹の部屋vol.2」のベーストリオの録音で、故川崎克巳さんの弟子にあたる鳥光浩樹さんと偶然再会した。そして、9月の座・高円寺のPAをやってくれることになった。不思議な因縁だ。ここでも何かが繋がった。