箏との共演(2)

辺境のようなところで仕事をしているので、不況の影響はいち早く受けるが、好況は、なかなかやってこない。そんな私でも、これはバブルかしらん?と思ったことが演劇公演。一万坪の工場跡地で毎年のように公演を行った。背景が全面バックライトで埋まっていたり、PA会社が自社製品をモニターしてくれと売り込みに来て、それを見学するバスがきたり、有名ファッションデザイナーブランドの衣装だったり、現代美術家が競って舞台装置を作ったり。帰り道、歌舞伎町前の青梅街道にタクシーが三重に停まっていたり・・・・・

『白鬚のリア』第二部はそんな中だった。クリさんに頼み、箏アンサンブルを組織してもらった。クリさんらしい人選で、心に何かくすぶるものがある奏者が8人集まった。(栗林秀明・川井亜矢子・坪井紀子・日影晶子・村山靖久・東山しのぶ・井関一博・成塚啓太) 一週間にわたる野外公演で、公演中に台風が三つ通過するという最高?の環境。コントラバスは、膠(にかわ)を使って接着してあるので、雨は大苦手。箏は、もっと雨が苦手。制作に入っていた大手ゼネコンの建築家が急遽、演奏家用ビニールハウスを造った。リア王(若松武)が「嵐よふけ!」というと本物の嵐がふいたのだ。

ジャクソン・ポロックの「11番」(ブルーポールズ)が好きで、名前を拝借してブルーポールズ・オブ・リアとした。絵の中の青い柱が立てかけた箏に見えた。この経験で学んだのが、集団・組織の在り方だ。もともと集団の活動をしていないので、とてもありがたい経験だった。一方、クリさん達は集団の活動は充分に慣れている。そしてクリさんに、私の言葉を翻訳・通訳してもらっていたような印象だった。本当にありがとうございました。

お箏奏者は謂わば学級委員タイプが多い。ジャズやロックの「ならずもの」達とは真逆。上下関係を尊ぶ環境とも相まって、真面目に言うことを聞く。しかし、良い子ちゃんを侮ってはななりませぬ。彼らの心にも『バカヤロー精神』は充分育っていることが多いし、たまに筋金入りだったりする。また、東京芸大卒業生が大きな力を持つ業界に、いわれのない思いをしている人も多かった。そのために音楽を続けられない人さえいた。今思うと、アンチ・エリートがその長所・短所を乗り越えて予想外のものをやってしまう、という面も影にあった。札幌のコントラバス集団『漢達の低弦』を思い起こす。

「自分が人より良いことを弾こう」「自己表現をしよう」とする気持ちを消す方向を目指す。即興演奏が「技法」の羅列にならないように、また、即興演奏に過大な期待を持たないように、自分の持っている技法を全部書き出してもらう。毎日一つはあたらしいことをやる、発見することを目指す。あえて全体の中の『歯車』になることを意識する。伴奏感覚から抜けるためにも、演劇現場の多くのスタッフと同格になり、打ち解けるためにも、役者達のストレッチから参加するように呼びかける。与えられた仕事ではなく、自分たちが創った仕事だという意識をもってもらう。もちろん私も同じ。

今、サンフランシスコにいる日影晶子さんからは、多くを学んだ。みずからラテン系東北人(秋田出身)を自称する彼女は、瞬時に劇空間に入り込んだ。演奏していなくても、立ち上がって『そこに居る』。SKDを目指したことがあるという彼女は、ニコニコしてほとんど踊っている。弾け無くったってかまうものか。この雰囲気はすばらしいものだった。役者・演出・スタッフはすぐに彼女のファンになったし、その場もすばらしいものになった。秋田には、ヤマトではない、オンバク・ヒタムの流れがあるという仮説の大事な生きた証明です。(サンフランシスコ、カストロ地区入り口付近の『秀寿司』に行くと彼女に会えます。)

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