ジャンルの罠

『音や金時』でのTatsuya, Tetsu, Raymond, Neil。

住んでいる(生まれた)場所にオリジンをもつ音楽を演奏できない場合は、いろいろなジャンルの音楽を演奏することになる。(歌謡曲・演歌・民謡・Jポップを演奏するにはまだ時間がかかりそう。)

それぞれのジャンルの入り口には「危険・注意」と小さく書いてある。しっかり認識せずに入り込むと、初めのうちはニコニコと迎え入れてくれているようでも、身体・精神をむしばむ、手痛いしっぺ返しを食らう。しかも後戻りはできない。人間は弱く、音楽は強い。当たり前だ。

『好きな音楽』と『自分が演奏する音楽』は違う、とずっと思ってきた。あるジャンルの音楽を演奏するには、それぞれのエッセンスを自分なりに身体に入れてからだ、と注意してきた。ピアソラを演奏する時は、ご本人の演奏直後に同じステージで演奏できるか、と自らと共演者に課した。樹齢1000年を超える楠の前で演奏した時は、自分のもの以外はとても演奏できなかった。

ごく簡単に言えば、そのジャンルを『生きている』かどうか?

ラッキーなことに、私は韓国で金石出さん、ブエノスでプグリエーセさん、ヨーロッパでバールさん・ミッシェルさん、日本で高柳昌行さん、沢井一恵さん、小鼓の久田舜一郎さん、ダンスのジャンさん、元藤さん、マレーのザイさん、などに出会い、共演して、私なりに感じるエッセンスを身体に入れた。

自分に戻り、彼らと共演できないときは、おそるおそる確かめながら少しずつ演奏してきた。家人が心配するほど、朝から晩まで音を聴きまり、関連する資料を集め、身体で理解しようとした。こんなに好きなブラジル音楽を本格的に演奏できないのは、エッセンスに会っていないからだろうか。いつしか臨界点を超えれば、堂々と演奏できるのだろうか。その土地に行き、空気・言葉に触れ、エッセンスに出会わないと、なかなか「初めの一歩」が踏み出せない状態が続いている。

今、英・仏・米のインプロ村から David Chiesa, Tatsuya Nakatani, Raymond Macdonald, Neil Davidsonが来日ツアー中だ。ごく少ない聴衆でも、めいっぱい演奏を続けている。彼らはインプロを『生きている』。環境が良いとは言えない日本でインプロを『生きる』にはなかなか困難が伴う。Tatsuya Nakataniさんは、日本で住めないわけだし。

日本での共演者はフリージャズ村からの人もいるが、私の興味は、若いインプロを目指すミュージシャンたちが、どういう体験をし、将来に繋げていくのかということだ。

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