オンバク・ヒタム(13)

そろそろ韓国編を終えよう。細かなエピソードを書いていたら当分終わりません。想い出はさておき、今が大事。オンバク・ヒタムの演奏の準備を進めなければならない。(5/29 ベースアンサンブル編・7/17 箏アンサンブル編 どちらもcafe & space ポレポレ坐 にて)

↑の写真は、前々回言及した作曲家イ・ゴニョンさんとジョセリン・クラークさんhttp://jocelynclark.com/。(場所はアラスカ。このあと1時間くらいで、太陽が沈み、月が昇るのを同時に右と左の地平線で見た。)ギリシャのマンドリン奏者ドミトリス・マリノス(強力な現代音楽奏者、ルチアノ・ベリオが亡くなるとき彼のためにマンドリンのセクエンツアを書きかけだったという。)と私が特集された現代音楽フェスティバルでジョセリンさんが中心に開催されている。

ジョセリンさんとは、この前年ニューヨークで会った。沢井一恵さんのリサイタルシリーズの手伝いにアラスカから来ていたのだ。日本語・中国語・韓国語をマスターし、日本・中国・韓国の箏を弾く。ハーバード大学の学位を取得している。稀に見る才女だろう。稀にも見ないか・・・・・。

NY で一恵さんとは、西村朗作曲の「かむなぎ」を演奏した。この曲は元々17絃とパーカッションのために作られ、韓国のリズムを使って書かれている。ティンパニも含み、音程も指定されたパーカッション群をコントラバスにやらせたらどうだろう、という無茶なことを一恵さんの門下・菊池奈緒子さんが考え出した。(菊池さんとはポーランド公演も一緒に行っている。)その後彼女はドイツに留学、アンサンブル・モデルンとコラボレーションなど大いに活躍中だ。

韓国のリズムを知っていて、コントラバスを打楽器的に使うことを試している私に、その役が回ってきた。それはそれは大変だった。各パーカッションの音符を読み込む。どうしても絶対的に音が足らない。ベース一本では無理なことだらけだ。解決法として、とりあえずコントラバスをプリペアードする・調弦を変える・各弦に単独のプリペアードを施す・そのために既成の箏柱を削る、右手・左手の各指を別々に動かす、などなどの試行錯誤。なんとか菊池さんと演奏(日暮里・和音)を終えると、一恵さんもやりたいとのことで再演した。私も試行を重ねて行く。

ニューヨーク・アジアンソサエティ、ワシントン・スミソニアン、その他大学で演奏。(楽器はバール・フィリップスさんの息子デヴィッド・フィリップスさんに借りた。)その時ジョセリンが、ニューヨークのコリアンタウンの名レストランに連れて行ってくれたり、何かと世話を焼いてくれた。韓式レストランでは、彼女はちょっと話題になっていた。その前の晩、一人で行き、カヤグムを弾きまくったとかで、店員とやけに親しい。

話が面白い。なんと「少年よ大志を抱け」のクラーク博士の家系。稚内や函館に住んでいたという。日本・中国・韓国の中で、韓国の音楽が一番好き、社会は一番面倒だけど、など私と同じ苦労をしていた。特に日本人はそうかもしれないが、韓国では「何処を入り口にするか、誰と初めに会うか」が本当に大事だ。それによって全く違う韓国を経験することになる。約束は寸前に変更あるいはキャンセルされる。そんなこと当たり前。彼女も、時に円形脱毛になりながら韓国社会とつきあった。音楽の魅力からだ。

話を、おもしろがった私に、フェスティバルへの打診。いいよ、と言っていたら、あっという間にコントラバスをフィーチャーした曲を二曲委嘱をしていた。(初演の時↓)

そして今現在、ジョセリンさんはテジョンにいる。やはり韓国音楽の追究に自分をかけているのだろう。グループ・スリーZでの活動も続けている。日本・中国・韓国の箏に韓国のパーカッションを加えたグループだ。一昨年水谷隆子さんを加えた編成で来日。高橋悠治さんへの委嘱曲、私のストーンアウトなどを演奏して日本を回った。

今回のオンバク・ヒタムのこと、吉田一穂さん、網野義彦さんのこともジョセリンに話してみて、反応を聞きたいと思っている。韓国と北海道を繋いでいて、客観的な感想を聞ける人は身近にあまりいない。ジョセリンなら、なんと言うだろう。ちょっとテジョンからアラスカへのトランジットで、寄ってもらってオンバク・ヒタムに参加してもらおうかしらん・・・・

ニュース!

13日から18日ギャラリー椿GT2で 瀬辺佳子さんの個展やっています。(昨年七つのピアソラ、岡山公演とご一緒させていただいた彫刻家です。)とても面白かった。隣の部屋(夏目麻麦さん)もとても興味深かった。http://www.gallery-tsubaki.jp/exhibit.html

NHK教育テレビの語学番組で、アーサー・ビナードさんと青森の少女との映像を観ました。小泉八雲を訪ねて行った出雲のコトバと青森のコトバがとても似ているという実例が出てきます。まさにオンバク・ヒタムに乗った北前船の盛んな証拠。

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