オンバク・ヒタム(10)

金大換さんからいただいたCD「黒雨」斎藤徹「芸友」と書いてくれた。彼は米粒一粒に般若心経を書く。ギネスに載っている。

金大換さんもいいけどね、「金石出」というもの凄い人がいるんだよな、聴いてみる?・・・・・と言うプロデューサー。聴いて驚いた。まず音が凄い。突き抜けている。高柳昌行さんとの演奏のために聴きまくったアルバート・アイラー、そしてビリー・ホリデイの深すぎるビブラートがとっさに思い浮かぶ。普通、西洋音楽のビブラートは半音域以内に納まる。しかしそんなものは全く気にせずにはみ出る。淡谷のり子・美輪明宏・森進一さんなどがやる極端なビブラートとも通じるかもしれない。

その音の揺れと一緒に、聴いている身体も揺れる。共振しているうちにどこかへ上・斜めの方へスーッと連れて行かれる。危ない音。そもそもビブラートって何だ?とよく考える。西洋音楽の弦楽器をやっていると当たり前のようにビブラートをかけるように指導される。しかしはじめから私は嫌いだった。できればビブラートなしでやりたい気持ちは今も変わらない。音程をごまかすためのビブラート、これ見よがしのコントラバスの高音ビブラートには虫ずが走る。

コントラバスの演奏を根本から見直す仕事をしたゲイリー・カーさんのビブラートは深めだ。あるワークショップでビブラートの話になり、「右耳と左耳の距離が関係しているはずだ。ほんの少し違う周波数を聴いているのではないか。そのためにビブラートが有効なはずだ。」とゲイリーが言った。ビブラートに関して自分の考えを示した、私にとって初めての人だ。

私の考えはまだまだ深い思考にまで至っていないが、キーになるのは水のような気がする。ヒトの身体の70パーセント以上は水だという。水を包む皮袋としての身体を考えると、身体の揺れはすなわち水の揺れになり、揺れは、戻りと対になり、何回か繰り返され減衰し水平に収まる。そこにビブラートが働くのではないか、ということ。片耳の機能を失調している現在、その考えはますます生きている。

それはともかく、金さんのビブラートは「西洋音楽のビブラート」ではない。(だから良いのだ。)韓国伝統音楽に共通する大きなビブラート。アジェンのチューニングには驚いた。アジェンは、カヤグム、コムンゴとともに韓国伝統音楽を代表する箏の仲間だ。カヤグムは指でつま弾く。日本の箏のように爪をつけない。アジェンの基本は弓弾きであり、コムンゴは棒で叩く。私はこの弓弾きと棒叩きを観たとき本当に嬉しかった。ご存じの方も多いだろうが、私はコントラバスの弦を棒で叩いたり、いろいろな奏法で音を出す。これでいいのだ、と言われた気がしたのだ。

私は、いまだに、試行錯誤を繰り返しているので、アジェン、コムンゴの奏法は私に勇気を与えてくれた。そのアジェンのチューニングは、日本の箏のように開放弦で弾いたときに調子が合っているようにするのではなく、深くビブラートをかけたときに合うようになっている。すなわち、開放弦で弾いたときにはとてもチューニングした楽器には聞こえず、狂った楽器にしか聞こえない。

また、金さんのメイン楽器ホジョクは自然に鳴らすとロ短調のものが多かった気がする。これから連想したのは古楽のチューニング。今と比べると、だいたい半音分位は低かったという。19世紀作の私の楽器でも、現行のA=440の半音低くチューニングすると、ビックリするほど朗々と鳴り響く。楽器はかつてのチューニングを覚えているのではないだろうか。

とまれ、慣れ親しんだ音楽・楽器の規範と全く違う音に出会って、「私」の知らない「私」が驚喜・狂喜した、そんな感じだった。

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