オンバク・ヒタム(3)

東南アジアーその1

始まりはシンガポール。「何でもやって良い・誰を呼んでも良い」という企画。今考えると大変ありがたく、良い時代だった。当時の私を振り返ると、韓国シャーマン音楽・伝統音楽の洗礼を受けていたし、ヨーロッパのインプロシーンにも出るようになっていた。日本では沢井さんなどの伝統音楽との共演も増え、また、アスベスト館でのワークショップも担当していた時期だ。

私の悪い癖で、全部まとめたくなる。お気楽な楽観主義?今だったら、おっかなくてできないことをずいぶん平気でやってきた。若さだろうか。手痛いしっぺ返しも何回か受けたが懲りない。誰かに背中を押されているのではないかと思われるくらいの無根拠の自信が不思議にあった。ユーラシアン・弦打エコーズという企画をやったときもそうだ。篳篥・笙・多数の箏・十七絃・ギター・打楽器に韓国の伝統楽器(ヘーグム・アジェン・ピリ・打楽器)の四人を招聘したコンサートを打って出た。今思うと、あ〜怖!どうやって経済を成り立たせていたのか・・・。その勢い・・・。

レコード会社との軋轢で関係が切れてしまったため、韓国音楽とのパイプが亡くなってしまっていたが、個人的にチョン・チュルギ氏とキム・ジョンヒ氏を呼ぶことに成功した。これは嬉しかった。チュルギ氏はシャーマンではないが、韓国各地のシャーマン達(特にお年寄り)を訪ね、教えを乞うている。シャーマン音楽に対する真摯な尊敬に溢れた人格者だ。口伝しかない彼らの音楽を伝える役割を自ら担っている。

プンムルノリ(風物ノリ)というグループのリーダーとしても活躍していた。所謂「サムルノリ(四物ノリ)」のエンターテイメント性ではなく、伝統継承の方に重きを置いた活動だ。ジョンヒ氏のおもり役としてもうってつけ。

ジョンヒ氏は金石出一族。ジョンヒ・ジョングク兄弟のケンガリ合奏は最強。この二人とソウルで録音した時のことは、生涯忘れられない。徐々にケンガリの音が狭いスタジオの床から充満し、部屋全体を覆う。その中で何をしたか覚えていないような異常状態だった。ほとんどパンクロックだったのではないかと・・・

フランスからはミッシェル・ドネダ、アラン・ジョールの二人を呼んだ。当時、バール・フィリップストリオのメンバーだった。5th Seasonというグループを作って、バールトリオ+沢井一恵+私でフランス・スイスツアーをやった。そのとき大変気のあったミッシェル・アラン・私でもトリオを結成。「ムオーズ」というCD(バーバー富士のシザーズレーベルで発売)を作った。ロシアの詩人フレーブニコフから取った名前だ。

日本からは沢井一恵さん。そして山崎広太さん、アスベスト館で元藤さんに推薦してもらったダンサー。

これだけでも充分大変だけど、まだ懲りない私は主催者サイドに、現地のアーティストの参加を願い出、二人のマレー人を紹介された。その一人がザイ・クーニン。なんと、演奏する劇場(サブステーション)の楽屋に「住んで」いた!彼とのつながりが紆余曲折を経て今回のオンバク・ヒタムへと直結する。

マレーシャーマンのザイ・クーニン↑

シンガポール公演の経験を日本で結実したCD「ペイガンヒム」↑

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