この企画を思いついた発端、それは西表島でした。
この地図で一目瞭然、ここはソウルより西、台北より南にあります!
ジャバラレーベル「パナリ」を、西表島の浜辺で録音しました。録音した後、民宿へ帰って地図を見てビックリしたわけです。
ジャバラレーベルの森田純一さんとは韓国での活動からのつきあいです。彼のプロデュースは、場を設定するだけで音楽はすべて演奏家に任せます。実は、場の設定こそプロデュースにおいて一番決定的なことです。
私は潮の流れを後ろに聴きながら、主役は波音であり、自分は添え物になるのが一番と思いました。そして、この潮はどこへ流れるのだろうか、と想像しました。その時の直感に基づいて「珍島アリラン」を演奏しました。これが今に繋がる第一歩だったわけです。
石垣島に戻り、地元の人たちとのセッション。足のすねことを「はぎ」と言ったり、南風のことを「はえ」と言ったり、万葉言葉がそのまま使われていたり、「韓国語はとても近い言葉だ」と聞いたり、こちらの踊りと韓国の踊りは近い、なぜなら、両手の平を平行にさせる、どんな角度でも平行にさせるのが同じだから、と聞きました。また、屋根瓦も似ているのではないか、というのが森田さんの見解でした。
「もう一つの黒潮」に特別な視点が見えた瞬間でした。
そもそもこの録音ツアーは、博多の故西尾次男さんの発案によるコンサートの録音から始まりました。博多の桜坂でひっそりと住んでいた西尾さんは、博多のエッセンスとでも言うべき人でした。ご自宅でソロを主催してくれたのがおつきあいの始まりです。実に深く濃い人でした。興味の範囲が広く深くインド舞踊、琉球舞踊、おもろ、から食べ物・飲み物まで事細かく独自ですばらしいものでした。
曰く、コーヒーは今泉の「美々」(びみ)http://www.cafebimi.com/、讃岐うどんは、どこどこの店で、釜揚げしてからの人数を計算して並び順を代える、ご自身は酒を飲まないのに、米焼酎「鳥飼」が良いよとか、これは凄い映画だと言って「巡り会う朝」を教えてくれたかと思うと、某というピンク映画の監督は仏教の恍惚、性欲を超えた境地を表している、と力説したり、話に夢中になると青信号でも急停止、おかげで車はいつもボコボコでした・・・・大きな人でした。
その西尾さんの親友が鈴木さんという、またまたエッセンスのような人でした。凧館というところに住み、韓国凧(中央に円形のくりぬきがある)を自ら作り、その凧を大濠公園の池の端と端で設置してから空高く揚げるのです。このお二人と話をしている時の幸福感といったら比較するのもがありませんでした。西尾宅のソロの時、最初にクッコリ(韓国のリズム)を演奏したら、鈴木さんからかけ声がかかりました。良い想い出です。
(コーヒーショップ「美々」での西尾さん(無帽)と鈴木さん(帽子)撮影はザイ・クーニンです。)
思えば、この八重山ツアーは、図らずして韓国と繋がっていたのでした。