メキシコの旅 7

カフェ・デ・タクバのウェイトレス
コヨアカンの詩人

カフェ・デ・タクバでランチ。フリーダとディエゴが結婚式をしたという由緒あるレストランだ。給仕の制服もおしゃれ。フッとディエゴやフリーダが通り過ぎても不思議はない時間が止まったような空間だ。おそらく店と契約しているだろうマリアッチが演奏を始めテーブルを回っていく。店と同じく洗練されている。マリアッチとはマリッジ(結婚)から来たコトバだそうだ(高場さんの本より)( 私の思い間違いでありました。10/14のブログで訂正します。)人は結婚式の音楽を大事にしてきた。シンガポールのマレー人シャーマン達は、あらゆる迫害を受け、音楽もほとんど禁止されてきたが、結婚式の音楽だけは許されているという。政治・宗教・民族を越えて祝福がもっとも似合うというコンセンサスがあるのだろう。

旧王宮へ。10点以上の壁画がある。タマヨ、オロスコ、リベラ、シケイロス、ど迫力。口あんぐり。こういう大きな感覚はどこからくる?喜怒哀楽は「表現」ではない、と日頃自分に言い聞かせているのだが、そんな感覚と全く違う。最近メキシコで描いた壁画が帰ってきた岡本太郎さんくらいなら張り合えるのかしらん。壁画の他にも興味深い様々な展示があった。展示の感覚もだいぶ違う気がする。メキシコと日本の感覚の違いはとても良い感じだ。これだけ違えば朗らかに違いを楽しめ、栄養になる。

安全なタクシーを手配してコヨアカンへ。フリーダとディエゴが住んでいた「青い家」が開放されている。フリーダの代表作、ディエゴが壁画を描くための実寸デッサンや手紙の数々とともに、蔵書、収集していたアステカ文明の像、フリーダのベッド(自画像を描くために天蓋に鏡が付けられている)、上半身用のギブスなどなど生々しい。ちょっと息苦しくなり外に出ると猫がこの家の主のように見回っていた。交通事故による重い障害に悩まされながらもトロッツキー、イサム、そしてチャベラ・バルガス(女性)とも恋愛関係を持ったフリーダはスペイン語なら「ドゥエンデ」、韓国語なら「恨」、英語なら「ブルース」をもてあましていたのだろう。本人の責任をはるかに超える大きさの。 (http://www.jspanish.com/yomimono/lorca/lorca2.html参照)

この地で暗殺されたレオン・トロッツキー館がすぐそばにあったが閉館時間で諦め、マーケットをひやかしコヨアカンを歩く。詩人はガイコツお面を、私は紫の衣装のガイコツを購入。そういえば、黒沼ユリ子さんはここに住んでいるはずだ。二年続けてアンサンブルに誘っていただいたことがあった。シューベルト「鱒」とボーリングのジャズ風現代音楽をやるので私におはちが回ってきた。大ホールで満員の聴衆、他のメンバーは蝶ネクタイ、タキシード、エナメル靴、ロングドレス。私は黒シャツに黒スニーカーで失礼した。そんなこと全く気にしないユリ子さん、本番では巨匠の音を聴かせてくれた。さすがだった。住んでいる所がわかりさらに納得。住所を持ってきていなかったので、道ばたで偶然会えることを密かに楽しみにしていたがさすがにそう言うことは起こらなかった。

カフェでセルベッサそしてテキーラ系の土着な酒を飲み、南さん、高際くんと最後のおしゃべり。今日も一日案内してくれて本当にありがたかった。人間を、世の中を、自分を知ろうと、よく本を読み、好奇心を育てている。お二人の将来の充実と幸せを本気で願う。ところでその酒には芋虫のエッセンスが入っているという。最近は芋虫の代わりに七面鳥を香り付けにつかうとか。カッとあおり芋虫の粉と辛子の粉をふりかけたレモンをかじる。豪快な飲み方。座った席のうしろにはメキシコ・シャーマンの儀式用のお面と衣装。しかも使った形跡がある。ようやくディープな世界の縁に近づいてきたが、今回の旅は早くもここで終了のゴング。2時間の睡眠で空港へ。しかし安心してはいられない。「あなたたちのチケットはダブルブッキングです。」何でも起こるラテン世界。それでもなんでも今はトーキョーにいる。これも本当は夢? 

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