やはり3時間しか眠れずに部屋を徘徊。しかしもう仕事は済んだし結果もまずまず。それに今日は、丸一日オフ。恒例の9時、詩人と朝食。詩人の手に「地球の歩き方」。今日の期待。
なにやら予感がして詩人の部屋でメールチェックさせていただく。思いの外、ケンチャナヨ。数日メールチェックしないだけで不安になる状態は良いんだか、悪いんだか・・・・・絶対悪い。
10 時に同志が集う。オス。南さんはもう昨日の新聞を訳してくれている。メキシコの旅 2 の写真の記事です。彼女の時間に敬意を表してここに再録します。メキシコの新聞のこと、長いインタビューから彼らがどこをピックアップしたかで彼らの興味のありどころもわかるのではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「禅的なものから、共有の経験へ ーー視覚性の俳句よりも声に出して読む詩をーー」
カサ・デル・ラゴにて詩のリサイタル、野村喜和夫、齋藤徹との共演
ホルヘ・リカルド
日本の詩人がなぜ、俳句の簡潔さや静かな瞑想を捨て、朗読に向かうのだろうか?
詩人、野村喜和夫(埼玉、1951年生まれ)によれば、日本の詩の基本的な形式の一つである俳句はひとりの内省的な世界であるのに対し、朗読は「今、ここ、私たち」という感覚を、その言語がわからない場合であっても生み出すことが出来るという。
その「共有 comunion」の可能性、同じ場を共有するなかで、それまで繋がりの無かった観客に新しい感覚を生み出すことが出来るという可能性が面白いのだと、野村喜和夫氏は言う。氏は音楽家の齋藤徹(東京、1955年生)と共に”Poesia en voz alta” [声たからかな詩]フェスティバルに参加し、メキシコでの初演を遂げる。
氏は語った。「伝統的には、日本の詩というのは黙読されるものでした。とは言っても、宮廷では自作を声に出して読むという伝統があったのですが。第二次世界大戦が終わると、朗読という形式は減りました。それは、朗読がナショナリズム高揚と結びついてしまったためです。」
しかし、ここ30年ほどの間、アレン・ギンズバーグなどビート・ジェネレーションの西洋の詩人達の影響を受けて、日本でも朗読が行われるようになった。
朗読が広まるのは容易なことではなかった。詩の伝統に加え、日本の言語が表意文字を基本としており、日本の詩が声に出して読むよりも前に目で見るという必要がある、ということも、黙読という習慣の根になっているからだ。
「ナショナリズムには与せず、また社会参加の文化と見られないために、私たちの詩の朗読はヨーロッパの詩をモデルとしています。ただし、ヨーロッパが必ずしも模範というわけではありませんが」と喜和夫は語る。
このような背景があり、野村は詩のCD製作のほか、1995年の現代詩フェスティバル、「詩の外出」や1997年の現代詩フェスティバル「ダンス/ポエジー」などを主導し、西洋諸国で行われた数多くの詩のイベントを主催してきた。
日本の文化は西洋の影響を受けてきました、と野村喜和夫は加えた。
「おそらくメキシコ文化も共有すると思われる、根本的な問題がひとつあります。それは、ヨーロッパの文化が普遍的な価値を持っていると考えるのではなく、自分たち固有の文化の独創性を信じ、ある均衡を達成すると言うことです。」
齋藤徹は、「ヨーロッパ」の楽器であるコントラバスを用いてアジアの音楽を演奏することによって、その考え方の例をしめしている。
二人のアーティストは「Deja Vu Avenue」と題して、三篇の詩を披露する。日本語の音とリズムを楽しむことが出来るだろう、そして音楽家、詩人二人が即興を行い、メキシコの観客との出会いからうまれる新しい感動を見つけることが出来るだろうと齋藤は語った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・