メキシコの旅 3

詩人の外出

夜、二人で散策。人口2000万人のメキシコシティはオープンで圧迫感がない。背丈が高くなく、髪の毛も黒なのも原因だろうが、GNH(国民総幸福量)の高さも遠因しているのだろう。今年になって犯罪死亡者数3000人突破という数字がウソのようだ。所謂「白人」はめったに歩いていない。一部権力者は街を歩かないのだろう。南さん、高際くんによるとバスや地下鉄にはよく尋ね人の張り紙があるという。車が信号で停まる度に子供やオトナがものを売りに来るので、アンゲロプロス「永遠と一日」を思い出し、さては児童売買かと思ったがそうでもないらしい。政治犯の行方不明でもないということ。

旧市街に近づくと少しずつ騒音が増えるが、老犬がよたよた歩いていたりする余地はある。ジャン・サスポータスさんが教えてくれた旧市街にあるガリバルディ広場へ脚を伸ばす。別名マリアッチ広場。「テツ、私もピナの公演でメキシコに行ったことがあるけど、ここはすごいよ、広場中でいくつもの楽団が自分勝手に大音量で演奏しているんだ。全くのカオス、気が狂いそうになるんだ。テキーラを飲んでいたのでさらに危なかった。」と言われては行かざるを得ない。広場に近づくにつれてマッチョなマリアッチ楽団員が目に付きだす。私が興味津々なのはギタロン。ベース音域のふとっちょギターだ。日本ではマンドリンクラブやギター合奏などで使われるため、チェロのようにエンドピンをさして立奏する。高場さんに聞いたら、あれとは違うよ、ということでヤフオクでの衝動買いを諦めたことがあった。

いくつかのマリアッチ楽団では、コントラバスが使われていた。かなりカスタマイズしてあり、薄かったり、黒かったり。音楽の機能性としてコントラバスの方が優勢なのだろうか、しかしギタロンの独特のオクターブ奏法で低音がせり上がってくるのは換えがきかない。いつか弾きたい。一週間前にお台場でメキシコフェスがあった。(メキシコ独立記念日に合わせているのだろう。)峰・高場・ジローさんが演奏するというので行ったのだがあいにくの雨でコンサートは中止。屋内でのマリアッチのギタロン奏者に釘付けだった。実行委員長の三村秀次郎さんはメキシコ音楽をこよなく愛し音楽事務所(ミュージック・アミーゴス)もやっている。実は今年の「七つのピアソラツアー」でのジャン・サスポータスさんにビザ問題が起こったとき親身に相談に乗ってくれた大恩人なのだ。本当にありがとうございました。

広場に到着したのが7時半だったので、早すぎたのだ。マリアッチバンドマンが優に100人は越えている。客はほとんどいない。演奏しているのは一組だけだった。それに、どうやって演奏を頼めばいいのかよくわからなかったし空腹だったので一回りして広場をあとにした。明日の本番はそれほど気にはならないが、どんな楽器がくるのかが気になって仕方がない。ベース奏者の終わり無き悩みだ。私の位置・地位で自分の楽器を運ぶことを世間は許してくれない。

翌日話を聞くとこのあたりが一番治安が悪く、地元の人さえあまり近寄らないエリアだそうだ。知らない者の強みでしょう。ラッキーでした。何事もなく通り過ぎました。特に詩人は「地球の歩き方」を片手に、立ち止まっては街灯で地図をチェック、背中のリュックにはMacBook、危ない危ない。しかし詩人は頻繁に訪れる海外で今まで一回も危ない目に遭っていないという。(身近の同行者は被害に遭っているそうだ。)げに、何かに守られた存在なのだろう。現代日本で詩人でいることの代償?不幸養成ギブス(http://www.kiwao.com/index2.htmのブログ参照)の特典?

旧市街の立派すぎる建物群は異様だ。郵便局などはその日の午後には奴隷貿易をしていた様に見えてしまう。レストランで夕食、二人でワインを一本空けたのだが、意外に酔う。高地なので酔いが早い。遠くでけたたましくマリアッチが聞こえる。ラテン世界ではあらゆることが起こりえる、という考えが酔った頭をかすめる。そして私は極端な時差ぼけが始まってしまった。

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