翌朝、早く目を覚ましドアを開けると一階から大きな声。まるで宴会。朝食に行くとそのカフェで学生サッカーチームのOB大会の最中でした。もう退職している人たちでしょう、ウイークデイの朝から大盛り上がり。
メキシコは、GNP(国民総生産)は下からすぐ数えられるが、GNH(国民総幸福量)は上からすぐ数えられると教えてくれました。それこそが今のニホンに問われている選択ではないでしょうか?
詩人の地位という尺度をいれるとメキシコはニホンを完全に大きく上回っています。書店には詩のコーナーがしっかり確保され、時々には、その前で詩集をめくりながら朗読をする人もいるそうです。(なんでも、ガルシア・マルケス氏がメキシコ・シティに暮らしていて、「ガンジー」という旧王宮の前の書店でしばしば目撃されているそうです。)
振り返って我が街の古くからの本屋はある時ヴィデオレンタルを始め、調子に乗って、駅前に進出し、雑誌が半分以上になり、ついに最近、書籍扱いを無くしてしまいました。
フランス・ロデス(アルトーが収監されていた精神病院のある街)で詩のフェスティバルに参加したとき、各地から多くの詩人たちが集まっていました。ボヘミアン然とした詩人(中には本当にむさくるしい詩人も・・)をお金持ちそうなご婦人達がさも大事そうにケアをしています。期間中ある日などは、地元の名士が参加者全員(100人は越えています!)を自宅に夕食を接待。市街劇をやったときは、街中の交通を停めました。
金大中大統領が歴史的南北首脳会議の時に詩人・高銀氏を伴って会議に出席、会議の時に詩を朗読してもらい、金正日氏も満足したと言います。小泉首相が北朝鮮に行く時に野村喜和夫さんを連れて行くでしょうか?
野村さんによると、「現在の日本の詩人の元は萩原朔太郎さん、お金持ちの家柄ですが、自分でお金は作れずに地元ではさんざんな評判。その人が元ですからね。」日本での詩人の地位は本当に低いそうです。二人ほど詩で生計を立てられているそうです。一人は生命保険のコマーシャルのコピーでお馴染みですよね。
お金がないことが恥ずかしいことになっているニホンでは詩人は誇りを保てないということ。あれれ、ちょっと待って。そういえば、ニホンのミュージシャンに似てますね。
政治を、官僚を、警察を、教師を、オトナを、我が子を、友人を、愛を、将来を、歌を、自分を信じられない。これが今のニホンでしょう。そしてついにはコトバを信じられなくなる。では、何を信じているの?結局、おカネということ。あまりにも寂しい。
野村さんと朝食を取り、何人かの詩人たちと挨拶。ウルグアイから来ているエクトル・バルダンサ(ECTOR BARDANCA)さんは元々ミュージシャン、カンドンベ音楽で詩を歌うということで嬉しくなる。七つのピアソラツアーの時のバンドネオン・オリヴィエ・マヌーリさんからカンドンベについて習ったばかり。
そうこうしているうちにメディアのインタビューということで、会場のあるカサ・デル・ラゴ(湖の家)へ。ハプスブルグ家からナポレオンの命でメキシコ皇帝になったマキシミリアンがいた建物と湖を挟んだ所にあります。詩との関連が深い施設で、野村さんがずっと興味を持っているオクタヴィオ・パスもこことの関係が深い。くりくりの目をした若い新聞記者が知的な質問を続けざまにしてきます。その時に通訳をしてくれたのが南映子さんhttp://alsur-jacaranda.blogspot.com/ と、助っ人の高際裕哉さん。この二人がメキシコ滞在を大いに豊かにしてくれました。全くもって清々しい気持ちにさせてくれる若者でした。
東大と東京外語大の大学院から留学しているエリート。南さんは書肆吉成という札幌の出版・古書店が出している機関誌「アフンルバル通信」にエッセイを寄稿しているエッセイストでもあり、スペイン語・フランス語・英語の翻訳をやっています。本当に頭の回転が速い。通訳は本職ではないのに完璧にこなしていました。駒場では、ジャズオーケストラでアルトサックスを吹き、サド・メル楽団のコピーをしていたということです。おまけに美人。神様は不公平ですな。
高際くんは熱い男(漢)です。ガルシア・マルケスの研究をしながらも、あらゆることに好奇心が止むことはなく、暴走さえ厭わないありあまるコラソンと格闘しながら生きているという感じの好青年です。インテリエリートの中には、親近感と賛同をしめしながらもいざという時に逃げてしまうという人もいますが、彼は決してそういうことはないでしょう。野村さんがディレクターをしたイタリア文化会館での詩のフェスティバルには二日とも客席にいて私たちのパフォーマンスも見ていたということでビックリでした。お二人とサボテン料理などとセルベッサ(ビール)で遅いランチ。しばらくおしゃべりをすると、旧知の友人のような感覚になってしまいました。ニホンの若者もすてたもんじゃないのだ、これでいいのだ。