稚内というと思い出す人がもう一人いる。クロスサウンドフェスティバルhttp://crosssound.com/という現代音楽と伝統音楽を特集するフェスをアラスカで毎年主催しているジョセリン・クラークさんhttp://jocelynclark.com/。私は一昨年の特集ミュージシャンとして呼ばれ(もう一人はギリシャの現代音楽マンドリン奏者・Dimitris Marinos)二曲の委嘱作品を演奏、自分の好きに出来るソロコンサートもやった。ジョセリンさんは姓から連想できるように、北海道ゆかりのクラーク博士直系なのだ。子供の頃、函館、稚内で過ごしたという。
ハーバード学位を持つ彼女は日本語・韓国語・中国語そして日本箏、カヤグム、中国箏をマスターというおそらく史上唯一人の才人。箏は沢井一恵さんに習う。生きる上では一番面倒なことが多い韓国が、音楽的には一番フィットするそうだ。何となく分かる。昨年日本にも来て、高橋悠治さんの委嘱曲、私の曲などを演奏していった。セーラー服を着たブロンド・碧眼はこの地でどう映ったのだろうか?父親が軍人。ここは国境の街なのだ。それぞれの人生。
「中頓別ってとこなんだよ」と小山彰太さんは生まれ故郷について遠い目をして話す。「稚内の少し南でさ、ずっと行ってないんだ。」。それを思い出し、今日の道順を変更して中頓別経由・旭川にした。そのおかげでまた宗谷岬を通ったが、またまた穏やかな湖のようだったので素通り。
瀬尾クンも幼少のみぎり、浜頓別にスキーにいっていたらしく夢のような想い出を持っている。(http://plaza.rakuten.co.jp/anabiosisofjazz/diary/の9月14日参照)音威子府を通過して、旭川を目指す。
「ただいま!」とモケラモケラに到着。響きの良い空間で少しリハ。今日は「星がまたたく」をやりたい。第一稿、第二稿ともに試す。瀬尾クンが第一稿をたいそう気に入ってくれたので、第一稿を演奏のみ、第二稿をみんなで歌うことにする。
ぞくぞくとお馴染みの顔が揃い、あっという間に演奏時間。考えてみれば、毎回「特別な演奏」だ。こちらも受け入れ側それぞれの願いと熱意とを受けて演奏するわけだ。精一杯やるしかない。熱い聴衆に乗せられて無事に終了。心地よい疲れとともに打ち上げも盛り上がり長引いてしまった。
翌日、移動の途中、旭川彫刻美術館で「砂澤ビッキ展」をやっているので観に行く。学芸員TSさん直々の案内という贅沢。TSさんは「女達の一弦」のメンバーでもあるのだ。偶然のことだが、8/15のブログに載せたビッキさんの作品が展示されていたので驚く。20年以上経っている「樹華」のヤナギの色は、ほんの少し黄色がかっているだけなのもびっくり。
瀬尾クンはビッキさんの息子OKIさんとアイヌ音楽に基づいた演奏をしている。私もとある音楽講座で二回ご一緒した。(その時は高田和子さんも一緒だった)。帰るべき場所があるOKIさん。帰るところのない私たちはせいぜい旅をするしかない。
それぞれの人生。