バリとメヒコ

街中がサウナのような状態が続く東京。なかなかなもの。

メキシコ入国にビザがいることが判明、しかも時間が無く緊急であることが分かりメキシコ大使館に走り、イヤな汗を1リットルかく。

「人生短し、グチを言っているヒマはない」わけなので、なんとかポジティブになる試みをする。とりあえず、高場将美著「ラテン音楽おもしろ雑学辞典」のメキシコ音楽編を参照して、iTune storeでメキシコの名曲を拾う。曲名ではわからないのに知っている曲が多い。かつて日本にラテンブームがあったのですね。その時の記憶でしょう。シンガポールのマレーシャーマンたちはラテン名曲を我がもののように演奏している。港町コネクションなのだろう、飛行機優先の現代ではあり得ない。

ラ・ゴロンドリーナ、波濤を越えて、シエリト・リンド、ラ・パロマ、グアンタナメラ、ベサメ・ムーチョ、ラ・バンバ、ラ・クカラーチャ、知ってます。この中にチャベラ・ヴァルガスをおいてみても何の違和感もない。美空ひばりのククルククパロマも見つけた。うまい。

ガイコツを愛する人々は楽しさと泣きを、生と死をエンジョイしているのか。中南米各国の名曲をセレクトして歌ったカエターノ・ヴェローゾはやはりかなりの確信犯・知能犯だ。

誘われて、バリのジョゲッ・ピンギタンを観に行った。この清々しさは何?先月のインドのクーリヤッタムの時もそうだった。「人間、小金を持つとろくなことがないので、一年一回の祭りで使ってしまうのさ。」とドキュメントで聞いた。何という知恵だろう。これこそ老いた小金持ち国ニホンが一番見習うべき知恵ではないだろうか。

ひいばあさんと孫、ひ孫の三人が踊る。ひ孫の若々しい踊り、孫の唖然とするほど見事な技術、ひいばあさんの枯れた軽みの間、それを伴奏するのは、孫が率いる正装の男達。音楽する気持ちが全く汚れていない。音楽や踊りの純粋な喜びとそこに参加している誇り、捧げ物が出来る幸せとみんなを喜ばせる喜び。

もともとバリには職業音楽家なぞいない。海童道老子も職業音楽家を徹底的に批判していた。「プロ」が諸悪の根源か?私も音楽は趣味が良いと思うことが多い。今更何を、とおしかりを受けそうですが・・・

もし私たちに存在理由があるとすれば、「だってしょうがないじゃない・・・」と言うコトバをなかなか言わない人間でありたい、ウソを言わないで生きていける最後の方の人間でいたい、青臭い音楽論を年老いてなおさらにやりたい、私たちは貧乏と引き替えにそれを得ているはずだ。

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