「星がまたたく」の第2稿を置き土産にモケラモケラを後にする。一週間後に帰ってくる日程。瀬尾高志さんが迎えに来てくれ札幌へ向かう。道々「神居」「音江山」を通過。合掌。
この3年札幌の「漢達の低弦」というベースアンサンブルはとても面白い実験場だった。東京で同様の企みを失敗した直後に札幌からオファーが来た。どうしても完全にはポジティブにはなれず、様子見的に始めたのだが、彼らの熱意が私のエンジンをかけた。ベースアンサンブルでやってみたかったことを伝え楽譜を送ると、必死になってやってくる。それは胸のスカッとする出来事だった。(ここで書くには多すぎるのでこの辺で。)
井野信義さんとデュオで北海道を2回ツアーしたため、今回のベースデュオはレパートリーが問題だった。井野さん、瀬尾くんのそれぞれに敬意を表して、ほとんどすべて違う曲にした。これで一番苦労したのは瀬尾くんだろう。札幌の彼のスタジオに着くや、午前二時までビッチリ、翌日もジェリコに入るまでビッチリ数時間リハーサルをした。ご苦労様でした。
この日はいままでのジェリコライブと少し異なり緊張の中にもリラックスした部分が出せた。「瀬尾もオトナになった」というコメントが受けた、そんなライブだった。
彼に言わせると、彼の楽器は(二代前は私が弾いていたもの。「invitation」などこの楽器で録音したCDは多い)私が来ると途端に鳴り出す、とのこと。そういうこともあるのか、いい音でのびのび鳴っていた。もう私が弾いていた痕跡はなく、完全に彼の楽器になっていた。それを検証できるのは嬉しいこと。異例に湿気の多い北海道でも生ガット弦に三種類の松脂を使い分けてカラっと乾いた音を出すことが出来た。
OMBAK HITAMツアーと名付けたことを稚内での「プログラムに代えて」に簡単に書いたのでそれを貼り付けます。
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はじまりは、西表島でした。浜辺でCDを録音した時、この島が台北より南、ソウルより西に位置している地図を見ました。これは「ヤマト」ではないなと思い、島を取り巻く海流をあらてめて眺めました。「親潮」となって四国、紀伊半島を流れるものの他に、琉球弧を通り、九州の西に流れ、朝鮮半島に行き、日本列島の日本海側にたどり着く「もう一つの黒潮」の文化圏を想像しました。
インドネシアに始まり、最終地はまさに稚内あたりではないかとイメージを膨らませました。マレー、琉球、韓国とのつき合いもそれぞれ深まり、この想像上の文化圏が深くつながっているのではないか?とそしてそれは、経済効率最優先の「東京中心文化圏」に対抗できる豊かで大きな可能性があるのでないかと夢は進みました。
古平出身の詩人・吉田一穂さんのエッセイ、「黒潮回帰」「桃花村」を読んで、同じような想像をしていた先達がいたことを発見し、狂喜しました。また網野義彦さんの本に出ていた上下を逆さまにした日本地図を見て、私の想像がそのまま絵になっているようで嬉しく思いました。
29日に東京を出て旭川に着き、障害者や小学生たちと音で遊ぶワークショップをしてあたたかな気持ちをいただき、札幌で若手ナンバーワンのベーシスト瀬尾高志さんと合流、本日(9月4日)まさに黒潮の最終到着海岸沿いのオロロン街道を北上。ノシャップ岬で海を見て、はるか南方に思いを馳せました。
マレーのシャーマン・アーティストから黒潮のことを「OMBAK HITAM」ということを教わり、今回のベースデュオのテーマとしました。今日の演奏では、「OMBAK HITAM SAKURADAI」(3部構成)を取り上げます。昨年他界した三絃奏者 高田和子さんに捧げる意味を込めて作曲したものです。三絃(三味線)は棹が東南アジア、川がインドネシア、絃の色やバチはインドととても「アジア」な楽器なのです。
以下略
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明日は稚内。