北海道 試される旅 その4

子供達とのワークショップの後、庭でバーベキューをすることに急遽決定。畑で取れた野菜、いただき物の野菜、ラム、サンマなどを豪快に焼き、星空を眺める。焼き方・味付け一つ一ついろいろと掟がある。そしてそれに従うと本当にウマイのだ。こういう時間が日常的に可能なことは本当に豊かな生活だ。

その後、ビデオ上映。空中散歩館での「七つのピアソラ」最終ライブ。M.mokeraさん母子は現場にいて、この雰囲気を是非旭川の人たちに見せたいということで企画をした。私自身は自分の録音、映像はほとんど観ないし聴かないので、ちょっとギアを入れ替えて一番後ろで観た。自分と至近距離で踊っているジャンをずっと経験しているので、ちょっと歯がゆい。もっともっと「来る」んだけどな、と思いながら観た。アンコールのジャンと乾千恵さんのデュオ「忘却」は映像でも感動的だった。

私にとって歯がゆい映像でもここ旭川の人たちは充分に受け止めてくれた。なにしろ上映が終わってから20分以上、だれひとり動きもしなければ、しゃべりもしない。そのことに、ちょっと感動してしまった。本当にピュアな人たちだ。

みんなで星を愛でようと、オサラッペ川散歩にでた。真っ暗な細道。初めは和蝋燭をつけて道を照らしたのだが、消した。驚くことにそのほうが良く見える。感覚を刺激して、実際に見える。アイヌの聖山「嵐山」が白く聳え、オサラッペ川が墨汁より、烏より黒かった。「星がまたたく」がもっと簡単で覚えやすければここで歌えたのにな、と反省しきり。

実はその時間、東京のplanBでは五井輝さんの追悼会が行われていた。最後の2作品私は演奏させていただいた。星を見ながら一人で追悼した。

それにしてもモケラと私の関係には死がつきまとう。最初の年は大成瓢吉さん、次の年は高田和子さん、太田省吾さん、井野さんの母堂さま、今年は五井さん、そして一週間後旭川に戻るとM.mokeraさんの祖母さま、と亡くなっていたり、葬儀の時間だったり。

五井さんは北海道出身で、最後に2作品は「音江山」(ここから近い)「神居」(カムイコタンはすぐそばだ)だった。私は東京砂漠ではなく五井さんに一番近いところで追悼できた。感謝。

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