北海道 試される旅 その3

今日は小学生を中心に子供達とのワークショップ。普段子供達と接触することがほとんどないので、お手上げかつ無力感で、気だけ焦る。またまた身を任せるしかない。トホホ。こんなオトナもいます、それを見てくださいってな感じ。

はじめの時間は昨日と同様に楽器作り。子供達は炎天下(本当に異常気象)水カリンバと一弦楽器を作る。今日はテグスがあるので、一弦楽器はより微妙な音色を楽しめる。私も一つ作り、弓も作るとそれが子供達の目にとまりみなで弓も作り始める。弓と言ってもテグスを一本張っているだけだが、松脂をつけると良く鳴る。

当たり前の話しだが、子供達はオトナをよく見ていてオトナのまねをする。しきりに「疲れる」という子の周辺にはそれが口癖のオトナがいるのだろう。コトバは怖いもので、本当に疲れてしまう。ほんの一歳年上だと分かって急に敬語を話し出す子もいた。そういう社会で生きていないオトナもいるんだぜ。こういう「自由」なワークショップでも「先生」が来て「生徒」である自分たちに何か教えてくれる、という構図が暗黙の内に確固として出来てしまっているのか。いやいやそんなことは当たり前で、一気に子供の心をつかむ優れた人たちも確実にいる。

私は昨日と同じく「自分の解放」と「みんなの解放」は同時にしか起こりえないと思っているので、その場の思いつきをことさら大事にしていく。まず、「儀式をします」というとみんな興味津々。呼吸法の基礎をやる。まず11秒吐いて1秒で吸うというやり方、韓国のクッコリを参考にした。慣れてくると15秒/1秒という長いサイクルに持って行く。16秒が生物としてのヒトに非常に大事と三木成夫さんが書いている。(その次が25秒、それは臨終の際のいびきのサイクルという。いのちの「い」は息、「息」の字は「自ら」の「心」とも。)

これはうまくいった。騒々しかった空間が一気に収まった。よし、では聞こえないくらいの小さな音で自分の作った楽器をひとりずつ鳴らしてみよう。みんな競うようにドンドン小さな音に成っていく。そうそういいぞいいぞ。一番うるさい音が冷蔵庫の暗騒音や時計のチクタクであることに気づく。そうやって耳を澄ますことを体感する。

次に2と3の話。2と3の組み合わせで世界のいろいろなリズムが出来ること、2と歩き、3と揺れや踊りとの関係を体感してもらう。ちょっと失敗。先ほどやった「自分の名前で歌う」では無理なく5拍子7拍子ができていたのになかなか体感まで行かなかった。工夫が必要。

思えば、調子に乗ってドンドンと押していく私は、一緒に乗りだした母親や世話人と反比例してすこしずつ扉を閉めていく何人かの子供達を見逃してしまったようだ。まだまだです。すいません。「帰りの車の中でその子供達がリズムに乗って大騒ぎだった」と言う話を後で聞いた。そうか・・・・・まあいいか、タネは植えたのだ。母親の解放は子供にも伝染するはず。いろ・なん・しゃー、いろ・なん・しゃー、いろ・なん・しゃー(いろいろあるよね、なんとかなるさ、しゃーないこともあるさ、というおまじない。3回唱えれば乗り切れる、これも旭川で教わったのだ。)

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