北海道 試される旅 その2

流木から作った安味育子さんの一弦、いたこさんのまねも堂に入っている。

レクチャー

ワークショップの後、少し休憩してレクチャー。もう三回目になるがなかなか慣れない。これも集まった人たちに助けられて進む。前回「女達の一弦(ただし男もすこしいます)」のワークショップに参加した方が多かったのでその話題から始める。(昨年10月、三ヶ月くらい前から一弦楽器を作るようにして、それぞれ個性あふれる名楽器を作り、私が合流して一週間で芝居仕立てにして発表した。大変盛り上がったワークショップだった。)

まず、小沢昭一さんの「日本の放浪芸」というCD・DVDの中に、昨年作った楽器にそっくりなものがあり、その映像をみんなで観る。恐山のいたこで梓弓(あずさゆみ)という一弦楽器を棒で叩きながら憑依する。(その方のお宅の表札には「神様の家」と書いてある!)その形状、絃の太さ、たたき方、共鳴箱の使い方などがそっくりだったのだ。太い弦を叩いた時の音は確かに琴線に触れるものがある。軽妙な小沢さんのナレーションも楽しい。太い絃のブンブンという音に、数珠のジャッジャッという音が重なり、聴覚を激しく刺激する。

律令制度や人間の生物的16秒、など話し(みんな受け売り)、聴くこと・待つこと・信じること、「今・ここ・私」に触れる。

アマリア・ロドリゲスの「祈り」(どんな形でも良いから、ポルトガルで死なせて、という詩)の映像、ピナ・バウシュの「カフェ・ミュラー」などを観ながら話を進める。ジャン・サスポータスの話にもなる。なぜ、ピナやジャンのやり方に魅力を感じるのか、その一つの意見を「舞台の水」太田省吾(五柳書院)、から引用する。「人の生に肯定の答えを見いだすこと・・・おまえのその考えを肯定系のコトバで語ってみろ、」という言い方にヒントをもらう。

よれよれふらふらと話を進めた後、みんなで歌うことにした。昨年は乾千恵作詞で私の作った「夕暮れの数え歌」をここモケラモケラで仕上げて歌った。今年もここに着いてから仕上げた「星がまたたく」。同じく乾千恵さんの詞だ。今年の四月、深い友人にあった岡部伊都子さんが亡くなった日にコトバが「やってきた」という。そういう「死と生」を取り上げるときはギリシャ旋法の中のリディアン旋法を使いたくなる。コトバに合わせて作曲していったが、いかんせん、歌うのがムズカシイという意見がでてしまった。

私は体の中になぜかリディアン旋法があり、ずっと関わってきたので自然だったが、そうでない人にはきつかったのだ。また小節ごとにリズムが反復しないものはなかなか覚えにくい。反省しきり。直そうと思う。みんなで歌う歌は、簡単・単純でなければならない。

本日は午後のワークショップ、夜のレクチャーともども「試され、鍛え」られた。フーっ・・・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です