北海道の旅1
旅の始まりはいつものように、なにやら慌ただしい。頭もろくに回らず、とりあえずその辺にある着替えを全部詰め込む。この数年しばしば訪れている北海道は私にとって本当に「試される大地」。
初日、モケラモケラでのワークショップその1から始まる。当麻町「かたるべプラス」http://www.katarube.ne.jp/ から大勢モケラモケラにやってきた。二年前訪れて楽器を持って走り回って遊び、昨年はライブペインティングをして遊んだ。今年はT師匠やY師匠は今回残念ながら不参加。若い人たちが集まった。みんな師匠だ。集まって何かをやるときは、誰かが一方的に教え、誰かが一方的に教わるということはあり得ない。両者が同時に「解放される」しかない。即興演奏の現場(共演者・聴衆・自分との関係)と同じだ。
一弦楽器と水カリンバを作る作業から始まる。野外の臨時作業場で1時間余りでそれぞれ少しずつ助けてもらいながら自分の楽器を作った。今年の北海道はこの時期にしては異例に暑い。一息ついて中へ入り私の担当の時間になる。一人一人の自己紹介から始まる。名前を言い、作った楽器の音を出す。無理強いをしないように気をつけてなどと思っていると「私の名前は??です。私の作った楽器はこんな音がします。・・・・・・・・・でもホントは??さんが全部作ってくれました。」と明るくいう女性。本当のユーモアを感じさせる洒落たコトバだった。いすに座っていないと発作が起きる可能性が高いという人だ。もうこの一言で私はやられてしまった。何か良いことをしようとする打算的ココロを見透かされた。
「チョリース。私は〜〜です。」ラップのように次から次へコトバをつないでいくSさん。もう止まらない。10分はやっていた。ひらめきの連鎖がおこっているのでこちらから止めることはなかなかできない。後で聞くと、彼女は重い自閉症で、決してコトバを言うことはないだろうと診断されていたという。可能性は開けるのだ。チョリース!
その後、一人一人の名前をリズムにして遊ぶ。名前をリズムにすると5拍子とか7拍子とか変拍子と呼ばれるものが決してそうでなくダンサブルなものであることに気づく。抑揚も自然に決まってくる。これが日本語の基本的リズムであり抑揚だ。すなわちこれが日本の音楽の基礎ではないか。誰一人「間違え」ない。アフリカで輪になって手拍子をとりながら歌っているような感じを出したかった。ひとりなかなか輪に入らない人がいた。彼の順番になると「??さん、こっち向いて」とみんなで歌った。歌っていると遊び感覚があるので無理強いしている感じが減る様に思った。
春日大社・若宮宮のお祭りの時の声の出し方「警しつ」というのをやる。みんな出来る。凄いハーモニーが時々起こる。上へ向かって吼える。背骨と口の方向が同じ線上に並んで吼えると「なにか」を呼んでいる様な感覚に囚われる。自分の深い記憶へ向かって「おーい、おーい」と呼んでいる様だ。私の隣のM君が指を上に向けて声を出し始めると、自然にみんなが従った。儀式のようになる。「ブヌイ族は首狩りの前にみんなでコーラスをし、ハモらないと戦いに行かない」という小泉文夫さんの「人はなぜ歌を歌うか」説を思い出す。一週間後に旭川に戻ったとき、この「警しつ」がみんなの間で流行って、バス旅行の時バスの中でみんなで上へ向かって指さしながらやっていたと聞く。嬉しいね。
その後、水カリンバと一弦楽器で深海の描写をやったり、ビーチにいる想像をしたりする。耳を澄ますことの大事さを強調。動きながら楽器をならす。私はゆったりした音と激しいノイズの音を交互に出す。みんな反応してくる。その後2ビートでサンバで乗る。2ビートは強い。
礼儀正しいジャニーズ系のKクンはある種の「サバン」で一回見たものを克明に記憶するという。刺繍を完璧にマスターしていてどんな作業も早いEさんはリズムがある早さに達すると必ず立ち上がり踊り出す。M君は「音、音、おと、おと」と言ってぐるぐる左回転する。(ヴィデオで見たセロニアス・モンクと同じ回り方だ)。自ら進んでコトバを音にすることはほとんど無いということを、かたるべで働いているMKさんが教えてくれた。
こういうワークショップは慣れているともって行き方もいろいろと有るのだろうが、準備のない私は逆にそれを武器にしてみんなに助けてもらい楽しい時間を過ごした。(でも何時までもそれに甘えてはいけないだろう。)みんなを看ている人たちの気の配りようは凄い。膨大な情報をその時、その場で自在に応用していく。どんな些細なサインも見逃さない。頭が下がります。