ジャンは東工大での授業を終え、ほっと一息です。本当に、一人一人のことを長い時間をかけて考えます。どこのワークショップでもそうです。三週間日本にいても、ほとんど外出なし。何回も演奏した沼辺の「いずるば」のホームパーティにお呼ばれしたとき、久しぶりに外に出て「おお!トーキョーですね!」
「いずるば」では、岩下徹さんも来ていました。トールさんはパリでの山海塾新作初演を終え、トゥールーズでのミッシェル・ドネダ、ミッシェル・ラジとのセッションを大成功で終えて、帰ってきたばかり。
私が「いずるば」でやっている即興のセッションを「寄港」と名付けています。このパーティは本当にそんな感じでした。マダムもあまり見せない青春時代の写真を披露してくれました。なんと大野一雄さんにも習ったことのあるというダンス写真もありました。ドイツ表現主義の振り付けだそうです。竜太郎くんのダンスはいろいろな願いのこもったものだったことを確認しました。
ジャンの最終授業が終わった日に渋谷で会いました。パートナーがウクレレを楽しみでやっているので、ハワイアンが好き、特にジェイク・シマブクロがお気に入り。彼女がネットで調べて渋谷の「バッキー」というハワイアン・カフェに行きました。そうです。バッキー・白片さんゆかりのスペースです。カフェというとおしゃれな感じですがここは、時代が50年以上はさかのぼった感じです。夜な夜なハワイアン好きなお年寄り達が集まってはウクレレを弾き、歌い、持ち込みした食事を分け合っているという場所が渋谷駅から徒歩4分にあるのでした。巧妙にしつらえた映画のロケのようでした。
今のマスターはご尊顔・立ち居・振る舞いすべて良い味を出しています。灰田勝彦さんに憧れてハワイアンの世界に入ったそうです。灰田さんが軍歌を嫌々歌っていた話や日独伊三国同盟の話などをします。「野球小僧」「新雪」などの歌の断片を歌います。「ここはどこ?いまはいつ?」という気になります。
だんだんアルコールも回ってきます。我々の風体を観てマスターは、何かをやる人間達だと察知、ジャンが踊りを私がベースをやっている話になり、「じゃあやってよ」と自然なお誘い。ベースも店にあります。ウクレレスクール帰りの若者、店の従業員が演奏し歌うのに急遽参加して、なんとジャンのハワイアンダンス、私のハワイアンベース世界初演となりました。
大受けの店内。私が電話で外に出ている間にもマスターに懇願されてスローなハワイアン「ブルーハワイ」でもう一曲踊ったそうです。娘がしっかりデジカメに収録しました。「明日のYouTube」に投稿しちゃおっかな?」というと「いくらでも良いから買い取る?!」とジャン。
良い打ち上げでした。